(第15回)特別法は一般法を破る/後法は前法を破る

悪しき隣人―ようこそ法格言の世界へ(柴田光蔵)| 2019.10.11
「よき法律家は悪しき隣人」。この言葉が何を意味しているのか、知っていますか?
歴史ある法格言には、法学の真髄を伝えるものが数多くあります。法格言を知ることから、法学の雰囲気に触れてみませんか?
本記事は、「法学セミナー」1984年11月号別冊付録として世に出された、柴田光蔵著『法格言ミニ辞典』をWeb日本評論で復活させたものです。
なお、掲載にあたっては、適宜編集を加えています。

(不定期更新)

Lēx speciālis dērogat lēgī generalī. / Lēx posterior dērogat priōrī.

前者は、6世紀に学説法となった2~3世紀のローマ法学者パーピニアーヌスの若干の命題などをアレンジして生まれた。後者は、同じような扱いをうけた3世紀のローマ法学者モデスティーヌスのギリシア語法文の命題に由来する。

これらに、「上位の法は下位の法を破る Lēx superior dērogat lēgī īnferiorī. 」という格言を加えると、現代における制定法相互間の優劣についての三原則ができあがる。

(a)日本国憲法は、「国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、……の全部又は一部は、その効力を有しない」とされている(第98条)から、憲法に反する法律などは何の力もないわけである。今は昔の物語りとなったが、社会党の石橋委員長から提唱された「自衛隊違憲合法論」なるものは、その言わんとするところは痛々しいほどよくわかるけれども、これは、――筆者の用語法を用いれば――タテマエとホンネをごちゃまぜにしたスッキリしない議論である。つまり、自衛隊法が違憲的存在にあたるのなら、それに効力が全くないだけのことであって、その違憲判決が最高裁判所で確定するまでは、この法律は、合法的存在と言っても、法的存在と言っても大してちがいがなく、いわば仮の姿として存在をそれなりに立派に主張しているのである。この点にかんしてはどの法律の場合でも同じことが言えるのではないだろうか。ちがうのは、違憲説が声高に主張されているかどうかだけである。

(b)さて、本論の特別法と一般法の問題に移ろう。訳では「破る」と通俗的に表現したが、「優先する」とか「一部撤廃する」とかでもよい。具体例をあげると、一般法としての民法は年5分の法定利息を任意規定(次回(第16回)参照)としておいているが、商行為によって生じた債務については年6分の法定利息を同じようなかたちで定めている商法の規定が優先して適用されるわけである。それでは、後で制定された一般法は、先に制定されていた特別法を破るか? この場合、特別法が優先する。

ところで、歴史の世界には興味のある「特別」と「一般」の拮抗関係があるので、それを紹介しよう。周知のように、ドイツでは、中世後期から近世初期にかけて、多少とも手を加えられた形態ではあったが古代のローマ私法が全面的に継受された。その理由には諸説があって決しがたいけれども、一つには、神聖ローマ帝国が、実質的には独立国のような多くの領邦国家に分裂しており、慣習法中心のゲルマン固有法もマチマチな内容であったので、国家が法の統一をはかるうえで、外来・既成のローマ法をかりてこざるをえないという受け入れ側の事情が強く作用したものと思われる。さて、さきのローマ法は、一般法の性格をもつ普通法( gemeines Recht, jūs commūne )として、帝国の全域に適用される基礎法の地位を与えられた。表題に示した前者の法原則は、ドイツ普通法にかんするかぎりでは、場所的・対象的に見て、より狭い適用範囲しかもたない法が優先するという内容の「普通法の補充的適用の原則」として認められ、そして、具体的なかたちでは、「当事者の意思は都市法を破り、都市法はラント法(地方特別法)を破り、ラント法は普通法を破る Willkür bricht Stadtrecht, Stadtrecht bricht Landrecht, Landrecht bricht gemeines Recht. 」となる。しかし、この原則は、一方においてタテマエに祭りあげられ、他方においてタテマエ的にも覆えされた。つまり、前者について言えば、この普通ローマ法は、特別地方法の存在が証明されないかぎりにおいてようやく適用されるにすぎないのであるが、この地方特別法の存在を確認しその価値を承認する役割を担っていたのは、12世紀のボローニャまで伝統をたどれるローマ法流法学教育をたたきこまれた学識法曹であり、彼らは、おそらく、そのエリート意識もあって、慣習や慣行の形態をとることが少なくない、泥くさい地方特別法を容易なことで法として認めないために、何世紀間にもわたって洗練されてきた、明確で固定的な内容をもつ普通法の方が、事実上羽振りをきかせることになったのである。後者について言えば、神聖ローマ帝国の立法者が、一定の形式を通じて明示的に宣言するときには、帝国の構成員である諸侯や都市が、さきの補充的適用ルールなどそっちのけにして、有無を言わさず普通法により拘束されるケースである。そして、ドイツ帝国の正真正銘の法として民法典が成立するとともに、遂に、「帝国法はランド法を破る Reichsrecht bricht Landrecht. 」という状況が生みだされて、よくあるように、「特殊」は「普通」のなかにのみこまれてしまうのである。同じような現象は、ずっと早く、13世紀のイタリアにも先行的に見られる。ここでは、地方特別法というのは、各自治都市の制定する条例であった。

(c)つぎに、「後法(新法)は前法(旧法)を破る」というのは、時間的に前後する制定法同士のあいだに矛盾があるとき、どちらが優先するかについて規定が設けられていなければ、後法に矛盾する前法に効力を失わせる趣旨の原則である。同じような考え方は、私的な行為である遺言についてもあてはまる。ローマで最古の法律であり、しかも法典であった十二表法(前5世紀)には「ある者が〔自身の〕金銭および自身の財産の支配にかんして終意処分したように、そのように法があれ Uti līgāssit super peeūniā tūtelāve suae reī, ita jūs estō. 」とあって、死者が遺言で処分する事項は法と扱われて関係者を拘束するというルールが現代の場合以上に確立していたが、古代ローマ人が気の向くままひんぱんに遺言を作成していたという説も全くの作り話ではないらしく、遺言のくいちがいの処理方法につきいくつもの法命題が伝えられている。「〔若干の矛盾を含む遺言が存在する場合〕最終の意思が遵守される Novissima voluntās servātur. 」は英法の格言であるが、ローマ法の伝統をうけついでいる。

この連載をすべて見る


柴田光蔵 1937年京都府生まれ。1959年京都大法学部卒業。1961年京都大学助手を経て同大学助教授。1962~64年イタリアで在外研究。1973年京都大学教授。2000年定年退官。京都大学名誉教授。京都大学法学博士。専攻はローマ法・比較法文化論・日本社会論。最近の著書に、『タテマエの法・ホンネの法(第4版)』(日本評論社、2009年)、『タテマエ・ホンネ論で法を読む』(現代人文社、2017年)などがある。