『無実の死刑囚[増補改訂版] 三鷹事件 竹内景助』(著:高見澤昭治)

一冊散策| 2019.10.23
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

 

 

プロローグ――事件発生から70年目を迎えて

『無実の死刑囚』とは、三鷹事件で1人罪を負わされた竹内景助のことである。ところで三鷹事件と聞いて、どれだけの人がその実態を知っているだろうか。下山、三鷹、松川と、一連の事件の名前は聞いたことがあるとか、当時、国鉄と呼ばれたところでなにやら変な事件が続いたという認識はあるかもしれない。しかしほとんどの人にとって、三鷹事件というのは東京・三鷹駅で電車が暴走し、多くの人が死亡した過去の出来事程度の理解ではないかと思われる。

三鷹事件は単なる電車の暴走事件ではない。6名が死亡し、多数が重軽傷を負った大事故であったことは事実だが、事故直後に国鉄労働組合員だった者などが次々と逮捕され、「共同謀議に基づく共同犯行」として10名が起訴され、死刑や無期懲役などを求刑されるという刑事事件へと“発展”した。ところが裁判では1人を残して他はすべて無罪とされた。

最大の問題は、竹内景助1人が一審判決で無期懲役を宣告され、それが高裁で一度の事実調べもなく死刑に変えられ、無罪を訴えたにもかかわらず、最高裁で弁論も開かれないまま確定したことである。同人はその後、再審を申し立てたものの、10年間も待たされたあげく、刑務所の中で発病し、適切な治療をうけることなく獄死してしまった。三鷹事件というのは、その全体を指していう。

竹内景助は、死刑判決確定後も、刑務所の中で非業の最期を遂げるまで、必死の思いで無実を訴え続けた。その竹内が無実であり、司法被害者であるということが、この70年の間に徐々にではあるが明らかになった。竹内は、まさに三鷹事件の7人目の犠牲者であった。このたびの東京高裁第4刑事部の再審請求棄却決定は、そのことを明らかにせず誤った確定判決を追認した。恐るべきことと言わざるを得ない。

三鷹事件が発生した1949(昭和24)年は、戦後史のなかでも特に激動の年であった。吉田内閣が経済を立て直すためということで、公務員の大量整理(馘首)を行い、国鉄だけで10万人近い労働者が馘首を通告される。そうした中、下山国鉄総裁の轢断事件を初めとして、三鷹、松川で大事故が立て続けに起こり、三鷹事件、松川事件では共産党員を中心に多数の労働者が逮捕された。

それを契機に、国鉄労働組合は“合法闘争”を掲げるいわゆる民同派が大勢を占め、定員削減は労働組合の強い抵抗もなく当初の予定通り進められた。共産党に対してはマッカーサーが共産党中央委員22名を公職追放するなど弾圧が強化され、さらに新聞社や公務員からは共産主義者とその同調者を排除するレッドパージが、それほどの抵抗もなく、急速に進められた。

翌1950(昭和25)年6月には朝鮮戦争が勃発した。アメリカ軍は日本を基地として朝鮮半島に出動していき、日本中に張り巡らされた国鉄が軍需物資の輸送に使われた。当時は鉄道こそ貨物輸送の大動脈だった。

三鷹事件などは、労働者の大量首切りや軍事優先の輸送力確保をスムーズに進めるために、当時の権力中枢と繋がりのある機関が政治目的で引き起こしたものだとか、米軍が陰で糸を引いていたなどという“陰謀説”が、この間、強く指摘されている。三鷹事件や松川事件が何者かによって仕組まれた“謀略”であり、共産党を非合法化し、戦闘的な労働組合を弾圧するために惹き起こされたものだとしたら、その目的は完全に成功したといってよい。本書でも三鷹事件が竹内の犯行ではないことを明らかにする社会的背景として、前半で客観的な資料を基にそのことに若干触れてはいるが、それが主眼ではない。
無実のものを死刑にするといった間違いがどうして起こったのか。三鷹事件の長大な判決を丁寧に読み返し、捜査記録や当時のマスコミ報道を改めて詳細に検討すると、検察官、裁判官など司法当局の思い込みと、マスコミの間違った報道が、何よりも無実の竹内を死刑に追いつめた元凶であったと考えざるをえない。

検察が中心となって、思想や組織に対する予断と偏見を基に、客観的な証拠がないにもかかわらず、政治的な目的に沿って共産党員である労働者を中心に次々と逮捕した。そして誰もが事件とは全く関わりのないことを強く訴えたにもかかわらず、誘導や暗示、強制などによって“自白”させることを中心とした捜査を進め、強引に起訴した。その結果が、一審判決によって「共同謀議による共同犯行」だとする起訴事実は、「全く実体のない空中楼閣」と決め付けられ、死刑を求刑された者も含め、竹内以外、全ての被告人が無罪となり判決が確定した。したがって、検察の責任が、最も大きいことは言うまでもない。

新しい憲法が制定され、新刑事訴訟法もその年の初めから施行されたばかりであった。憲法38条第1項は「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と規定し、同第2項は「強制、拷問もしくは脅迫による自白又は不当に長く抑留もしくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることはできない」と明示し、同第3項では「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」としている。また、『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則がある。それにもかかわらず、「空中楼閣」だとして検察当局の意図を退けながら、確たる証拠がないまま、自白を偏重して竹内に無期懲役を宣告した一審裁判官たちの責任も重大である。

さらに、全く事実調べをしないまま無期懲役を死刑に変更した控訴審、弁論も開かずにこれを8対7の僅差で確定させた最高裁判所の事件の処理については、処罰感情と治安意識にとらわれてしまい、人権を尊重し社会正義を実現する使命を見失った裁判官の姿勢とともに、法律的にも大きな問題があることは明らかである。

しかし、三鷹事件を追っていると、裁判所や検察・警察を批判しているだけでは足りないことが分かる。その1つが捜査当局に追従し、これを先取りするかのような間違った報道をしたマスコミの責任である。冤罪が生まれる背景には、当局に利用されるマスコミの事件報道の存在が常に指摘されるが、三鷹事件もまた最初から大々的に当局の意向に沿った間違った報道がなされた。

三鷹事件が竹内の犯行であるとされ、最終的に死刑判決が確定した原因として弁護人の責任も指摘せざるをえない。経験豊かな60名もの弁護士が最強といわれる弁護団を構成して精力的に取り組んだにもかかわらず、その活動がもっぱら「共同謀議に基づく共同犯行」だという検察側の構図を打ち破ることに注がれ、こと竹内に関しては全く不十分な、ないしは間違った認識のもとに、肝心な弁護活動は行われていない。

一言で言うならば、単独犯行だ、共同犯行だという竹内の“自白”の変転に惑わされ、ほとんどの弁護士が竹内の真意を全く理解せず、はたして竹内の“自白”通りに電車を発進させることが物理的に可能だったのか、竹内が本件実行行為をすることに合理的な疑いを生じさせる客観的な事実や証拠は存在しないのかなどについて、弁護団が真正面から取り上げて問題とすることもなく、そうした弁論も立証も全くといってよいほどなされていない。本書の後半は、竹内の“自白”の矛盾や問題点と共に、客観的な証拠からも三鷹事件が竹内の犯行ではありえないことを明らかにする。

本書の執筆にあたって特に注意したことは、著者の主観や推測をできる限り排して、事実に即した論述を心がけたことである。本書は、膨大な裁判記録を中心に、当時の新聞記事や関係者の手記など、公表されている資料に基づいて記述しており、そのためにそれらを度々引用していることを初めにお断りしておく。

死刑判決が冤罪だったとして無罪になったケースは、日本では免田事件をはじめこれまで4件を数える。アメリカではDNA鑑定の結果、200人以上の無実が判明したと報告されている。重い刑を言渡されたことに納得できずに、冤罪だとして再審を申し立てている事件は、現在、主なものだけでも17件、日本弁護士連合会が支援しているものだけでも13件にのぼる。日本では刑事裁判の有罪率は99.9%を越えており、犯行に関わっていなくても、一旦起訴されてしまうと、無罪を勝ち取ることは至難なことである。恐るべきことに、その中には本書が取り上げた三鷹事件など、死刑判決を言渡された事件も多数含まれている。

竹内景助は死刑判決を受けた後、獄中から社会に向け、文字通り懸命になって無実を訴え、裁判所に対しては再審を申立てた。ところが、再審がまさに開始されようとする直前に、脳腫瘍によって亡くなってしまった。激しい頭痛や嘔吐などを訴えたにもかかわらず、「拘禁反応」だとか「詐病」だとされ、医療を施されることなく獄死したのである。竹内の無実を信じていた多くの支援者たちは、「命令のない死刑執行だ」として、改めて権力の無法を批判し、その死を悔やんだ。

竹内が面会した妻に対して最後に言った言葉が「くやしいヨ!!」だったという。本人はもとより5人の幼い子供を抱え冤罪を晴らそうと、極貧の中、各地で夫の無実を訴え続けた妻の政さんも1984(昭和59)年には逝去してしまい、その無念さ、遺された子供たちの苦労を思うと、涙を禁じえない。

本書の初版本がきっかけで、父親の無実を信ずる竹内の長男が再審を請求し、申立てから7年半かかり、この度、再審請求が棄却されたが、それを覆すために、直ちに異議を申立てた。本書では、新たにそれに至る経過とその内容を紹介し、増補改訂版とした。

事件から70年経過したとはいえ、司法の間違いは正さなければならない。マスコミの果たした役割を考える上でも、このまま真実を闇に葬り去ることはできない。三鷹事件の実態を明らかにして後世に伝える必要がある。

本書によって、三鷹事件の真実が大きく浮かび上がり、真相が広く社会に理解されることを期待したい。

目次

プロローグ 事件発生から70年目を迎えて
第1章 事件発生と当時の社会情勢
第2章 新聞報道に現れた捜査の動き
第3章 法廷内外での熾烈なたたかいと竹内の孤立
第4章 竹内の人柄・生い立ちと日常生活
第5章 竹内の“自白”とその信用性
第6章 一審裁判所の判断とその問題点
第7章 高裁・最高裁の判断とその問題点
第8章 確定判決の不合理性と再審に向けた闘い
エピローグ 早急に無罪判決を
三鷹事件/竹内景助関係 年表

書誌情報


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