(第16回)公の法は私人の合意によって変更されえない
歴史ある法格言には、法学の真髄を伝えるものが数多くあります。法格言を知ることから、法学の雰囲気に触れてみませんか?
本記事は、「法学セミナー」1984年11月号別冊付録として世に出された、柴田光蔵著『法格言ミニ辞典』をWeb日本評論で復活させたものです。
なお、掲載にあたっては、適宜編集を加えています。
(不定期更新)
Jūs pūblicum prīvātōrum pactīs mūtārī nōn potest.
2~3世紀のローマ法学者パーピニアーヌスの文章で、6世紀には学説法として法文にまでなっている
同趣旨の学説法文として「私人の合意は公(おおやけ)の法を破らない Prīvātōrum conventiō jūrī pūblicō nōn dērogat. 」というのもある。両者において、「公の法」を「公の権利」と訳すことも不可能ではないが、これをローマ法起源の格言と見て、いちおう訳のようにしておこう。
問題は何が「公の法」かということであるが、ここでは、これを「強行法」と了解して「任意法」とのからみあいのなかに法の一つの局面をのぞき見ることにしたい。さて、われわれは、昔からの伝統のせいもあってか、「法」と言うと、いやいやながらも守らされるもの、守るべきものとストレートに考えがちである。それでは、法律の初学者諸君は、民法や商法の巨大な体系をどういう性質のものと考えているのだろうか? まさか、そこに法規として盛りこまれている内容がそのままわれわれの私法生活を強圧的に支配していると信ずるようなことはないと思うが……。もし万一そうなら、それは正しくない。なぜならば、民法典と商法典の相当な部分(2分の1あるいはそれ以上?)がいわゆる任意法(任意法規・任意規定)であって、これが、「当事者間で特別の定めをしないときに法の規定によりなさい」という控え目なことを要求しているにすぎないからである。もっとも、これはいくらかタテマエ的表現であって、法規というものはよく考えられバランスよく作られているのがならわしだから、ホンネ(運用)においては、任意法と言っても、通常人の法生活をかなり指導する規範となっている。
さて、刑法や刑事訴訟法を典型とする公法が、有無を言わさず国民に迫ってくるのと同時に、国家権力の切りこみから国民の人権を擁護する大切な役割を担っている点において、二重の意味で強行法であることはすぐわかるが、私的自治に大幅な余地を認めている民法や商法の規定のうち、どれが強行法でどれが任意法かを識別するのはそれほど容易なことではなく、結局は、規定の趣旨を汲み、リーガル・マインドをフルに働かせてこれを決めるということになろう。もっとも、「……スルコトヲ得ス」とか「……することができない」とか「……に反する行為は無効とする」とかの規定があれば、それは強行法であるし、「別段ノ定アルトキハ此限ニ在ラス」とか「当事者力反対ノ意思ヲ表示シタル場合ハ之ヲ適用セス」とかなら、それは任意規定である。
近代社会の成立期においては、経済上の自由放任の思想を背景として、市民相互間の関係を規律する私法では私的自治=契約自由の原則がウェイトをもっており、そのために任意法中心のシステムが重視されたのに対し、20世紀に入るころから、この原則というものが、結局のところ、社会・経済的強者を保護してやるだけになりはじめたので、強行法が次第に増加して、弱者の保護がはかられるようになってきた。私法の公法化現象というものもその一つのあらわれである。個人と法人との法律関係については約款の例を、個人同士のそれについては借家法の例をそれぞれ具体的に見てみよう。
約款というのは、むつかしい法律用語では「普通契約条款」とか「普通取引条款」とか呼ばれるが、読者諸君が自動車の任意保険などに加入したとき、会社が保険証券とともに送ってくる細字ビッシリの小冊子のことを思い浮かべてもらえばよい。この場合には、特約をつけたり、保険金額を自由に決定できるから、おしきせの契約とは言っても、何となく合意が成立したような気持にさせてくれるが、ガス・電気や電車を利用するさいには、あらかじめすべてがきちんと決められていて、それらを一括して承諾するか、あるいはそういう利用関係に入ることを拒否するかのオール・オア・ナッシングの選択しかなく、しかも実際問題としては、マキを燃やし、ローソクをあかりとし、テクテク歩くなどということはほとんど不可能事に属する以上、われわれは相手方の用意したものをのむしかないわけで、こういうとき、「約款に署名・捺印されましたから、当事者間の法としてたがいに遵守しましょう」と言われても、利用者側にはもう一つピンとこないのである。タテマエからすればもちろんそのとおりであるけれども、法知識に乏しく、社会的・経済的にも弱い地位にある一個人が企業におしきられてしまうので、約款に対しては、「約款は作成者側に不利になるように解釈されなければならない」というルールでそれ自体の力を減殺するような動きも裁判所の側に見られるようであるし、他方で、立法の分野では強行規定を設けて、約款の内容が強者に一方的に有利とならないよう抑えの手を打つこともある。
つぎに、借家についてであるが、民法第617条は、当事者が賃貸借の期間を定めていないとき、3ヵ月前に賃貸借解約の申入れをすれば、その期間満了のとき契約が終了することを定めているが、これは任意規定であるから、その期間を1ヵ月前にすることはもちろんできるはずである。一般に、日本の住宅事情はよくないので、借主の立場が弱く、借主は貸主の条件をのませられるのがふつうであるから、放置しておくと社会力学上たいていはこのようになってしまう。それで、時間に余裕を与えて借主の地位を保護するために強行規定としての借家法第3条が設けられた。「賃貸人ノ解約申入ハ六月前ニ之ヲ為スコトヲ要ス」がそれで、これ以外にも、「賃借人二不利ナルモノ(特約)ハ之ヲ為ササルモノト看做ス」(第6条)というように、強行法規としての性格を明確に示した条項がある。
具体的に強行法の例として物権の種類、夫婦親子関係、会社の組織などの公益や公の秩序にかんする規定が、比較的新しくは、経済的・社会的弱者を保護するためにあいついで制定された労働法、社会保障法などの社会法がある。
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柴田光蔵 1937年京都府生まれ。1959年京都大法学部卒業。1961年京都大学助手を経て同大学助教授。1962~64年イタリアで在外研究。1973年京都大学教授。2000年定年退官。京都大学名誉教授。京都大学法学博士。専攻はローマ法・比較法文化論・日本社会論。最近の著書に、『タテマエの法・ホンネの法(第4版)』(日本評論社、2009年)、『タテマエ・ホンネ論で法を読む』(現代人文社、2017年)などがある。