(第16回)藤澤利喜太郎の洋行(前) — イギリスまで

数学の泉(高瀬正仁)| 2020.01.07
数学に泉あり。数学は大小無数の流れで構成されていて、今も絶え間なく流れ続けている雄大な学問ですが、どの流れにも源泉があり、しかもその源泉を作った特定の人物が存在します。共感と共鳴。数学の泉の創造者たちの心情と心を通わせることこそが、数学を理解するという不思議な体験の本質です。そこで数々の泉を歴訪して創造の現場に立ち会って、創造者の苦心を回想し、共感し、共鳴する糸口を目の当たりにすることをめざしたいと思います。

(毎月上旬更新予定)

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明治10年(1877年)に東京大学が設置されたとき,菊池大麓が理学部の数学教授に就任しました.菊池は足掛け8年に及ぶイギリス留学を終えてこの年の5月に帰国したばかりで,イギリスの数学に深く通じていましたので,数学の分野ではお雇い外国人を招聘する必要はなかったのでした.菊池を一人目として,二人目の数学教授は藤澤利喜太郎という人で,菊池がイギリスに学んだのに対し,藤澤が修得したのはドイツの数学でした.西欧近代の数学の日本への移植ということを考えていくと,この事実には重い意味が備わっていることに思い当たります.

菊池大麓

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