(第17回)企業不祥事における取締役の監視義務違反(沼田知之)
(毎月中旬更新予定)
伊勢田道仁「取締役の監視義務と信頼の原則」
法と政治69巻4号(関西学院大学法政学会、2019年)より
企業不祥事が明らかになった場合、企業が受けるダメージを最小化し、早期に企業活動を正常化させるために、総合的・戦略的な危機管理対応が求められる。初動対応としては、被害拡大の防止、当該不祥事による法律上・事実上の影響の分析、行政当局対応、情報開示(プレスリリース、マスコミ対応等)、取引先・消費者対応等が必要となるが、その後、再発防止策の立案や、取締役・従業員等の関係者に対する責任追及についても検討することになる。とりわけ、取締役について善管注意義務違反が認められる場合には、株主からの提訴請求や代表訴訟提起の可能性も考慮しつつ、辞職・退任や報酬の減額・返金のみならず、責任追及訴訟を提起して損害賠償請求を行うべきかにつき判断する必要がある。
取締役が不正行為に自ら関与し、又はそのような行為を行う旨を決定した場合には、違法な業務執行またはその決定を行ったものとして、善管注意義務違反に該当することになる。この場合には、通常、取締役に任務懈怠責任が認められることになる1)ため、あとは、(証拠関係等を考慮した上での)勝訴の蓋然性、回収の確実性、訴訟提起による利益と費用等を勘案して、訴訟提起の要否を検討することになる。
他方、会社法上、個々の取締役は、他の取締役の職務が適正に執行されるよう監視する義務を負っており、違法な業務執行又はその決定に関与していない取締役についても、監視義務違反が問題となり得る。もっとも、一般に、会社の業務の多くは、業務執行取締役や従業員の間で分担されており、各取締役が会社の全ての業務を漏れなく監視することは現実的でない。このため、各取締役は、他の取締役や従業員が担当する業務について、その内容に疑念を差し挟むべき特段の事情がない場合には、適正に行われているものとして信頼することができ、仮に他の取締役・従業員に任務懈怠があったとしても、監視義務違反の責任を免れるべきである。このような考え方は、講学上「信頼の原則」あるいは「信頼の権利」と呼ばれ、裁判例等においても同様の考え方が認められてきた。企業不祥事対応の文脈で責任追及訴訟の当否を検討する際にも、不正行為等に関与していない取締役につき信頼の原則の適用が認められるのであれば、取締役に監視義務違反は認められないことになるところ、どのような条件が存在していれば信頼の原則の適用が認められるのかが問題となる。
本稿は、取締役の監視義務違反が問題となる場面を念頭に、信頼の原則の法理の根拠、体系的位置づけ、適用条件等について、日本の会社法判例・学説に加え、刑法上の議論を参照して検討を加えるものである。
まず、伊勢田教授は、刑法分野における信頼の原則に係る議論を概観し、信頼の原則は交通事故、チーム医療、建設事故など、過失が問題となる領域において広く適用されているとする。そして、信頼の原則は、「社会的に不可欠な事業を共同で行う場合の参加者の相互義務と各個人の行動自由とのバランスの問題」であると指摘される。その上で、会社法における信頼の原則の正当化根拠として、刑法における「許された危険2)」の議論を参考に、企業活動は常に株主の利益や社会的利益を侵害する危険を伴うものであるが、他方で株主の利益拡大や社会的有用性が認められることから、損害発生の危険性の完全な排除よりも、企業活動の維持を優先するとの考え方を挙げる。
また、伊勢田教授は、信頼の原則における「信頼」とは、社内組織や内部統制システムを構築するにあたり注意の限界として客観的に認められるものであると指摘する。このため、潜在的リスクについて予見可能性がある場合に、内部統制システムをどれだけの水準で構築すべきかと、どのような場合に他者を信頼することが許容されるかは「同じルールの表裏」であり、「ここまでシステムを整備しておけば、あとは業務執行者を信頼しても良いという水準を決めるもの」であるという。
そして、信頼の原則が適用される前提条件としては、①株主総会・取締役会・監査役等が監視機能を発揮できるような組織と権限分担が整っていること、②業務執行者として適正な者を選任したこと、③内部統制システムが確立されていることが必要となるとする。また、業務執行者の義務違反的行動についての具体的兆候があるといった特段の事情がある場合には、信頼の原則は適用されないと指摘する。取締役として、企業不祥事の発生時に信頼の原則の適用を受けるためには、平時において内部統制システムを整備すると共に、不正行為の具体的兆候がないかについて注意を払うことが必要といえるであろう。
本稿では、信頼の原則の根拠・位置づけに加え、内部統制システムと信頼の原則との関係や、同原則の適用条件について整理されており、実務上、取締役の監視義務違反の成否を検討する上で参考になると思われる。他方、内部統制システムの整備については、経営判断原則が適用されるかについて争いがあるものの、少なくとも一定の裁量が認められるとされているところ、かかる裁量が認められる範囲であれば、信頼の原則の適用前提としても許容されるのか等、更なる論点もあるように思われる。伊勢田教授によれば、信頼の原則については、日本ではこれまであまり詳しい研究がなされていなかったとのことであり、今後の研究の進展にも期待したい。
本論考を読むには
・関西学院大学レポジトリ 法と政治69巻4号
◇この記事に関するご意見・ご感想をぜひ、web-nippyo-contact■nippyo.co.jp(■を@に変更してください)までお寄せください。
この連載をすべて見る
脚注
1. | ↑ | 但し、取締役が法令に違反するとの認識を有しなかったことに止むを得ない事由がある場合(最判平成12年7月7日民集54巻6号1767頁)には、取締役に故意又は過失がないものとして任務懈怠責任は認められない。同様に、法令違反の可能性は認識しているが、専門家の意見を徴しても、当該行為が法令違反に当たるかが不明確である場合にも、直ちに取締役に過失があるとは認めるべきでない(田中亘『会社法 第2版』268頁(東京大学出版会、2018年))。 |
2. | ↑ | 法益侵害結果を惹起させる危険性を内在した行為であっても、社会的に有益又は不可欠な行為については、一定の場合に(例えば行為の有用性と危険性を比較考量した結果として)許容されるとする理論。 |
東京大学法学部、同法科大学院修了後、2008年より西村あさひ法律事務所。主な業務分野は、危機管理、独禁法。海外公務員贈賄、国際カルテル、製造業の品質問題等への対応のほか、贈収賄防止、競争法遵守、AIを活用したモニタリング等、コンプライアンスの仕組み作りに関する助言を行っている。主な著書・論稿として『危機管理法大全』(共著、商事法務、2016年)、「金融商品取引法の課徴金制度における偽陽性と上位規範の活用による解決」(旬刊商事法務1992号(2013年3月5日号))等。