岐路に立つWTO上級委員会と国際通商関係における「法の支配」(川瀬剛志)
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月刊「法律時報」より、毎月掲載。
(毎月下旬更新予定)
◆この記事は「法律時報」92巻3号(2020年3月号)に掲載されているものです。◆
1 上級委員会及び改革の現状
世界貿易機関(WTO)の発足から満25年を迎えようとする2019年12月11日、国際通商関係の法の支配を司ってきたWTO上級委員会が、遂に機能停止に陥った。2017年夏以来、米国は上級委員会による権限踰越(「行き過ぎ(overreach)」)に抗議し、退任委員の後任選任を阻止してきた。そして昨年12月10日に2人の委員の任期が切れ、残るは趙宏委員(中国)ただ一人になった。当初、この2名も“Rule15”(後述)によって引き続き審理に携わり、同日時点で係属中の上訴事案だけは処理可能と思われていたが、2名のうちグラハム(Thomas Graham)委員(米国)は、捗々しくない上級委員会改革への不満から、これに同意しなかった。この時点で、事件の審理を行う部会(division)の構成に要する3人の委員(紛争解決了解(DSU)17条1項)が確保できなくなった。
12月9日現在で上訴案件は15件を数えた。このうち既に口頭聴聞が終わっていた4件のうち2件で本稿脱稿までに上級委員会報告書が配布され、残る2件(豪州・タバコ包装事件(DS435、441)、ただし審理併合されているので、実質1件)も3月までに報告書が配布される予定となっている。また、この事態を受けて、翌10日にモロッコ・熱延鋼板ダンピング防止(AD)税事件(DS513)の当事国が上訴を取り下げ、パネル報告書の採択で合意した。しかし、残る10件の審理は、事実上停止した。
この「12.11」を回避すべく、WTOでは2019年1月からウォーカー(David Walker)ニュージーランド在ジュネーブ大使を調整役に立て、非公式に問題解決を議論してきた。このウォーカー・プロセスでは、日本をはじめ、EU、ブラジル、台湾などから13本の改革案が提出された。しかし米国は、上級委員会が1995年のWTO設立時に合意したDSUに忠実に審理することが全てであって、手続改正は必要ない、と述べるにとどまり、各国提案を一顧だにしなかった。更に米国は、「行き過ぎ」が起きる理由を加盟国間で十分に検討しないかぎり、上級委員の欠員指名には応じない、と繰り返し、具体的な要求の提示すら拒んだ。
ウォーカー大使はこの間の加盟国の議論や提案を取りまとめ、米国の問題提起に対応するための決議案をWTO一般理事会に提出した。しかし12月9日の会合で米国の反対に遭い、結局採択されることはなかった。
今後の上級委員会改革の一つの目処は、今年6月のカザフスタンにおける第12回閣僚会議だが、漁業補助金やデジタル貿易など他にも課題山積のおり、実質的な議論の進展を期待するには、時間はあまりに限られている。また、当の米国に政権交代の可能性がある今秋のアメリカ大統領選挙までは、事態は動かないと見る向きも少なくない。