(第22回)判例時報が一号で一件しか掲載できない長文判決との格闘(田淵浩二)

私の心に残る裁判例| 2020.04.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

志布志事件不起訴原告組民事訴訟第一審判決

無罪判決が確定した刑事事件に関し、公訴提起された事件の一部又はその関連事件に関与したとして取調べ等を受けた被疑者に対する警察の捜査の一部に、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を超えた違法があったほか、捜査幹部の誤った筋読みに沿った相被疑者の虚偽の自白に基づき、被疑者の身柄拘束を行ったことにつき合理的な理由を欠いた違法があったとされた事例

鹿児島地方裁判所平成27年5月15日判決
【判例時報2263号189頁掲載】

志布志事件とは、2003年の第15回統一地方選挙・鹿児島県議選に新人として立候補し当選した県議及び彼の運動員並びに旧志布志町住民らに対する公職選挙法違反に係る冤罪事件である。鹿児島地裁は2007年2月23日、起訴された13人のうち死亡により公訴棄却となった1名を除く12人全員の無罪を言い渡し、判決は控訴されることなく確定した。起訴に至った四つの公訴事実の全てがいわゆる「完全無罪」であった。

そこで起訴された13人の被告人らは県警による誤捜査や検察官の誤起訴の責任を追及するために、国と鹿児島県を相手に民事訴訟を提起した。その結果、鹿児島地裁は違法な取調べによって獲得した自白に基づく逮捕・勾留や公訴の提起及び維持の違法性を肯定し、原告の全員勝訴となった。しかし、実は志布志事件の冤罪被害者には、起訴事件やそれ以外の被疑事実で捜査対象とされ、不送致または不起訴に終わった7名もいた。これらの7名が、起訴原告組とは別に、鹿児島県を相手に損害賠償を求める訴訟を提起したのが本件である。二組の訴えは同一の裁判体により審理された。裁判所は、起訴原告組については、全員に対して国及び県の賠償責任を認めたが、不起訴原告組については、起訴原告組の主張の一部を退けたのと同じ論理により、1名に対する逮捕・勾留と2名に対する取調べ態様の一部以外の捜査の違法を認めず、不起訴原告組の訴えの大半を退けた。誤った捜査の被害を受けながらも、起訴された者や逮捕・勾留された者は損害賠償が認められ、それ以外の多くの者は、捜査の違法性はなかったという理由から損害賠償が認められない結果となったわけである。

そこで不起訴原告組は第一審判決に対して控訴を行う。弁護団の野平康博弁護士と本木順也弁護士が私の大学の研究室に訪ねてきたのは控訴した年の夏前であったと思う。野平弁護士らから地裁判決の論理には納得できないところがあるから刑事訴訟法の専門家として意見書を書いてほしいと依頼され、とりあえず判決書をじっくり読んで検討してみることにした。本判決は本文だけで847頁、添付資料を含めると1049頁に及ぶもので、同日言い渡された無罪判決組の判決書はもっと長かった。後に判例時報誌が2262号と2263号の2号を費やして無罪原告組と不起訴原告組に対するそれぞれの判決を一つずつ掲載する程であった。同一の裁判体が二つの事件を担当していただけに判決書の作成はさぞや大変だっただろうと裁判官に少し同情もしながら、頁の重複という珍しい誤植が含まれる判決書や控訴趣意書を読み進めると、不起訴組の原告らに対してもかなり強引な取調べが行われていたことが分かり、覚悟を決めてお引き受けすることにした。

本件訴訟の法的論点は複雑なものではなかったが、捜査対象者は27人に及んでおり、事実関係の整理だけでも相当な時間を費やした。2015年の7月には争点整理の作業を開始したが、その他の仕事もやりながら少しずつ作業を進め、わずか35頁の意見書が出来上がったのは翌年の2月9日になっていた。この仕事を引き受けたことを契機に、準備的作業として氷見事件国賠訴訟の理論的省察を深める機会を得たこと(判例時報2261号33頁)、当該事件の判例解説も執筆の機会を得たこと(法律時報88巻5号142頁)、その他にも誤捜査の違法性をテーマとする論文執筆につながったことなどの副産物も得られた。

福岡高裁宮崎支部による控訴審判決は平成28年8月5日に言い渡され、原告全員に賠償を認める逆転勝訴となった(LEX/DB文献番号25543984)。逆転勝訴の報道を聞いたときは安心した。控訴審判決は嫌疑の程度が低かったことを重視し、原判決が認めなかった任意取調べの違法性を肯定したが、捜査の開始や継続の違法性の主張については原判決同様に退けており、捜査機関にも一定の配慮をした内容であった。そのこともあってか、県からの上告はなかった。

志布志事件は、匿名情報がもとになり捜査本部が立ち上がり、関係者の事情聴取か被疑者の取調べかすら判然としない段階から、「叩き割り」と呼ばれる苛烈な自白追及型取調べが行われた。最初のひとりが耐え兼ね、複数人に対する買収行為を自白したことを契機に、多数の地域住民が誤捜査に巻き込まれ、関係者相互の供述が一致しない中、捜査方針の誤りを認め踏みとどまることもせず、ひたすら矛盾点を追及する取調べが長期間に及んだ。無罪判決や不起訴処分は、不合理な捜査により与えた損害を免責する理由にはならない。同時期に発生した冤罪事件である氷見事件(富山地判平成27・3・9判例時報2261号47頁〔損賠賠償請求事件〕)と並んで、私にとって不起訴や無罪になれば法的問題が解決するわけでないことを、執筆体験を通じて実感することができた記憶に残る事件となった。


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田淵浩二(たぶち・こうじ 九州大学教授)
1964年生まれ。静岡大学人文学部法学科助教授、香川大学大学院香川大学・愛媛大学連合法務研究科教授を経て現職。
著書に、『証拠調べ請求権』(成文堂、2004年)、『刑事弁護の原理と実践―美奈川成章先生・上田國廣先生古稀祝賀記念論文集』(共著、現代人文社、2016年)、『新・コンメンタール刑事訴訟法 第3版』(共著、日本評論社、2018年)など。