(第20回)協力か分断か? 新型コロナ危機と通商体制(藤井康次郎)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2020.04.23
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。西村あさひ法律事務所の7名の弁護士が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

川瀬剛志「新型コロナウイルスと国際通商ルール」

経済産業研究所(RIETI)Special Report(2020年4月16日掲載)

現在の国際通商体制の基礎を支える物品に関する通商ルールであるGATTは、第二次世界大戦のもたらした反省を踏まえ、戦後間もない1947年に合意された。GATTは、輸出入の数量制限の禁止、関税による国内産業の保護と関税削減交渉による関税撤廃・引下げ、無差別原則、一般的例外(正当化事由)等の基本ルールにより構成されている。その後、過去の評論でも触れてきたアンチダンピングや補助金相殺関税と行った貿易救済措置(第6回/通商摩擦の時代の羅針盤)やWTO紛争解決手続(第13回/WTO紛争解決手続の危機と国際経済体制における「法の支配」)等のさらなる規律の強化を経て、また、GATTはWTO体制に発展し、現在に至るまで妥当してきている。

新型コロナウイルスのもたらしている危機は第二次世界大戦以来最大の危機とも形容されている。パンデミックは、人の移動の制限、企業活動の縮減、サプライチェーンの混乱、医療・衛星物資の不足をもたらし、国際通商体制全般にもインパクトをもたらしている。WTO体制は、かかる試練をいかに克服し得るのか、そのためにはいかなる対応が求められるのか。危機に直面しても思考停止に陥ることなく、このような問いに対して、通商法研究者もすばやく取り組み始めている。その好例として、川瀬教授が経済産業研究所のウェブサイトに発表したスペシャルレポート「新型コロナウイルスと国際通商ルール」(川瀬レポート)を紹介したい。

川瀬レポートでは、新型コロナ危機に際して問題となるWTO体制下の通商ルールやその運用についての論点を幅広く、かつ、バランス良く取り上げている。具体的には、以下のような問いに対応する通商法上の論点を大変要領よく解説している。

  • パンデミックの拡大防止策として入国制限や物品の検疫強化を行うことは、物品やサービスの輸入を制限することにもつながるが、これは許容されるのか?
  • マスクや防護服等の医療・衛生物資を確保する観点からなされる輸出制限は許容されるのか?
  • 医療・衛生物資や医療サービスのアクセス改善のために、通商ルールの枠組みの中で実施できる手段は何か?
  • ワクチンの開発がなされた場合、ワクチンを幅広く普及させるという要請と知的財産権の保護のバランスはどのように取られるのか?
  • パンデミックにより業績不振となる企業に対して公的支援を与えることはどこまで許容されるのか?
  • パンデミックによりもたらされ得る保護主義の強化や貿易制限の強化と行った世界の分断を「抑止」するためにWTO体制ができることは何か?
  • ポストコロナ時代のWTO体制の改革の重要アジェンダは何か?

通商法を勉強したことのある方々は、これらの問いについて、是非一度自分で考え、回答を用意してみていただきたい。これらの問いは、WTO体制下における通商ルールの原則(数量制限の禁止、関税による国内産業保護、無差別原則、市場アクセスの約束、知的財産の保護等)と許容される例外の範囲、通商ルールのカバーしている分野(物品、人の移動を含むサービス、知的財産等)と今後のルール化が望まれる分野(データやデジタル経済)、国家による企業支援の限界(補助金規律)、通商ルールの履行確保の仕組み(紛争解決と監視体制)とその有効性といった普遍性のある問題に直結していて、通商法の理解を深める格好の材料ともいえる。新型コロナ危機により、通商法上の普遍的な問題が今一度あぶり出されているように思われる。

これらの問いについての答え合わせはこのコラムの役割ではなく、しっかりと川瀬レポートを参照していただくのがよいのだが、ここでは、川瀬レポートに含まれる以下のメッセージをご紹介する。

  • 「ルール通り」だけではパンデミック対応は困難であることも示しており、現行のWTO協定や各国の約束も改定されなければならない。
  • ルールにも緊急事態対応のために柔軟性が求められるところ、WTOがその合意形成のフォーラムになることが期待される。
  • パンデミックは人の越境移動はおろか、通勤・通学といった人のごく日常的な移動や接触を制限し、多くのコミュニケーションが遠隔的な手法で行われる世界をもたらした。こうした時代には、データの自由移動とそれに伴うセキュリティの在り方、まさに「信頼性ある自由なデータ流通(DFFT)」の実現が、これまで以上に喫緊の課題になる。

WTO体制に批判的な米国トランプ政権の登場以上に、新型コロナ危機は、広く、かつ、深い形で、WTO体制が象徴する自由貿易体制に試練を課しているように思われる。協力か分断か。これからの国際通商体制の方向性が問われているが、冷静さと結束でもって、上記のような問題提起にきちんと応答できるかが、試練を克服する鍵となると筆者も考えている。

本論考を読むには
経済産業研究所(RIETI)Special Report(2020年4月16日掲載)

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藤井康次郎(ふじい・こうじろう)
西村あさひ法律事務所パートナー弁護士。独占禁止法/競争法及び国際通商法を専門とする他、国際争訟、企業危機管理やロビイング業務にも精通している。これらの分野における著作が多数あり、政府委員会での委員等も多く務める。経済産業省通商機構部、ワシントンDCのクリアリー・ゴットリーブ・スティーン アンド ハミルトン法律事務所での勤務経験も有する。