(第1回)米中対立で浮上する EU(岡部直明)

コロナ危機とEUの行方| 2020.07.17
2020年に入って突如世界を席巻し始めた新型コロナウイルス感染症は,2020年3月11日にはWHOによってパンデミック宣言され,依然として予断を許さない状況が続いています.このコラムでは,さまざまな立場のEU研究者が,「コロナ危機下のヨーロッパ」がどう動くのか,どこへ向かうのかについて読み解いていきます.(全12回の予定)

コロナ危機は瞬く間に地球をおおい、大恐慌以来の世界経済危機を招いている。深刻なのは危機以前から続く米中対立がコロナ危機で激化し「コロナ冷戦」の様相を呈していることだ。危機終息の決め手になるワクチンや治療薬の国際共同開発もままならず、国際協調体制は揺らいだままだ。コロナ冷戦のなかかで浮上するのが欧州連合 (EU) である。危機をバネに、大規模な EU 復興基金の創設に動いている。再統合への第 1 歩だ。先頭に立つのは議長国ドイツのメルケル首相である。コロナ後世界を、分断の時代から国際協調の時代に変えるうえで「第 3 のパワー」EU の役割は大きい。

「コロナ新冷戦」のなかで

コロナ危機をめぐる米中対立は、おさまりそうにない。まず発生源をめぐって、トランプ米政権は「武漢ウイルス」として、中国の習近平政権の責任を追及する。トランプ大統領は大統領選を前に、自らの楽観論から対応が遅れ、世界最大の感染国になった責任を棚上げして、中国非難を強める。これに対して、中国政府は大流行につながる初動の遅れを認めず、迅速に対応したと繰り返すばかりで、責任回避の構えである。

最大の問題は、肝心のワクチンや治療薬の国際共同開発が動き出さないところにある。それどころか米中は開発の先陣争いを展開する。この分野はもともと米国優位の世界だったが、中国の追い上げが急になり、対立が激化している。本来、地球規模のワクチン開発には、特許やデータの国際共同管理が求められるが、米中対立のままでは、実現はむずかしいだろう。

これに香港をめぐる米中対立がからむ。中国が制定した「香港国家安全維持法」は「1 国 2 制度」を形骸化する。中国の強権で香港の民主化が葬り去られることに、世界中から批判が集まっている。

コロナ危機以前から米中対立は深刻化していた。トランプ大統領が仕掛けた関税戦争やハイテクをめぐる摩擦である。関税戦争はグローバル経済を縮小させ、華為技術 (ファーウェイ) 締め出しはグローバル経済を分断する。

米中対立はさらに続く。米大統領選で民主党のバイデン氏が勝っても、それは変わらない。むしろ民主党はトランプ政権より人権意識が高いだけに、米中対立が多層化、複雑化する可能性もある。強権による構造矛盾に直面する中国と、人種がからむ格差問題を抱える米国の対立は、世界を分断し、一層不安定にする恐れがある。

そんななかで、浮上するのが「第 3 のパワー」EU だろう。米中双方と深い関係がある一方で、双方に微妙な距離を保つ。コロナ後は、世界を結びつける EU が存在感を高める時代になるだろう。

EU は試練を抱えるが

もちろん EU が様々な試練を抱えているのは、間違いない。コロナ危機に最初に直撃されたのはイタリアだった。それにスペインが続いた。それはユーロ危機に見られた「危機の連鎖」を連想させた。「移動の自由」を前提に発展してきた開放経済 EU とって、避けられない措置とはいえ「ロックダウン」による経済封鎖は致命的だった。

国際通貨基金 (IMF) の見通しでも 2020 年の成長率落ち込みは世界全体が 4.9%であるのに対して、ユーロ圏は英国とともに 10.2%と最大だ。日本 (同 5.8%) 、米国 (同 8.0%) に比べても大きい。

そうでなくても、EU には難題が多い。ハンガリー、ポーランドという旧東欧圏は、司法の独立や報道の自由という EU の基本理念にそむくポピュリスト (大衆迎合主義者) が政権の座につき、反ブリュッセルの姿勢を強めてきた。EU の頭痛である。

英国の EU 離脱に伴う自由貿易協定 (FTA) が年内の経過期間内にまとまる保証はない。経過期間が延長されなければ、「合意なき離脱」による大混乱に陥る危険もある。

再統合のカギは復興基金

EU 再統合のカギを握るのは、大規模な EU 復興基金の創設である。欧州委員会が提案したのは、落ち込んだ EU 経済を復興させるため 7500 億ユーロ (約 90 兆円) の基金を設けるというものだ。欧州委員会が EU 共通債券を発行して全額を市場から調達する。うち 5000 億ユーロを返済不要の補助金とし、残りを返済が必要な融資とする。償還の原資は加盟各国の負担に加えて、デジタル課税、国際炭素税、金融取引税といった EU の新規財源をあてる構想である。

この復興基金を主導したのは、ドイツのメルケル首相とフランスのマクロン大統領である。とりわけドイツの転換が大きい。ユーロ危機の際には、ドイツは負担増の懸念からユーロ共同債の発行に反対していた。メルケル首相は EU 史上最大の経済危機に「かけるべき橋は大きくなる」と大転換した。

恩恵を受けるイタリアやスペインは歓迎する。一方で、負担増を警戒して、オランダ、オーストリア、スウェーデン、デンマークの「倹約 4 カ国」は抵抗する。1 度の EU 首脳会議では決着せず、17 日からの首脳会議に再度調整する。

注目すべきは、EU 共通債の発行である。EU の懸案である財政統合の第 1 歩になるからだ。金融政策はひとつでも財政政策はひとつずつという構造的欠陥がユーロ危機の背景にあっただけに、財政統合への端緒が開ければ、EU は再結束に踏み出すことになる。

メルケルという救世主

コロナ危機のなかで、メルケル独首相の存在感は一気に高まった。世界中で強権政治家やポピュリストが初動対応に失敗して、支持率を低下させた。これに対して、メルケル首相の対応は水際立っていた。

The image is credited with “© Raimond Spekking / CC BY-SA 4.0 (via Wikimedia Commons)”

医療支援を先行し、もともと高水準の医療体制を盤石にした。ロックダウンに伴う支援を素早く実行し、消費減税を含む大規模な経済対策を矢継ぎ早に打ち出した。財政健全主義を貫いてきたからこそ、思い切った転換が可能になった。

文化政策を最優先したのもメルケル流だ。「ドイツは文化の国」だとし、「芸術支援を優先順位の最上位に置いている」と述べ、フリーランス支援も打ち出した。一連のコロナ危機対応には、メルケル氏の科学的精神と人道主義が色濃く反映されている。

コロナ危機のなかで、ほとんど死に体だったメルケル首相は EU のリーダーとして復活した。復興基金創設に今年後半の EU 議長国としての役割が期待される。トランプ米大統領の呼びかけに応じず、G7 (主要 7 カ国) 首脳会議の開催を先送りさせるなど、国際的指導力もみせつけた。メルケル首相の任期は来年秋までだが、コロナ後世界に道しるべを指し示している。

EU 基準の資本主義に

コロナ後の世界は、大きくその風景を変えるだろう。コロナ危機は大恐慌以来の世界経済危機だが、それ以上に資本主義そのものの危機である。中国の国家資本主義は、一党独裁を背景にした強権の矛盾が鮮明になった。香港問題をきっかけに、民主化と国家資本主義の「衝突」はあちこちで起きるだろう。「中国製造 2025」による巨額の産業補助金は、世界貿易機関 (WTO) ルールに基づく相殺関税の対象になりうる。グローバル経済の火種である。海洋進出と連動する一帯一路構想は「中国第一主義」そのものである。

一方で、米国流の規範なき資本主義が暴走するのも困る。金融資本主義の肥大化は、金融危機の危険を高める。巨大 IT (情報技術) 企業の独占化は、優越的地位の乱用によって市場経済をゆがめる。新興企業の買収で技術革新の芽を摘む。なにより格差の拡大で社会不安を生む。

このなかで、浮上するのは「社会的市場経済」である。戦後の経済復興を担ったエアハルト西独経済相 (後の首相) が打ち出した理念だ。ドイツだけでなく EU 全体が共有する。自由放任は避け、勤労者や社会保障を重視する。格差拡大が深刻化するなかで、「社会」を掲げるのは意義がある。国連の持続可能な開発目標 (SDGs) や投資をめぐる ESG (環境・社会・ガバナンス) にも通じる。

中国の国家資本主義はもちろん、米国の規範なき資本主義も世界標準にはなりえない。コロナ危機がそれを証明した。EU 基準 (スタンダード) の資本主義が初めて世界標準になる可能性がある。コロナ後世界を変えるのは、再統合する EU だろう。


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岡部直明(おかべ・なおあき)
ジャーナリスト。武蔵野大学国際総合研究所顧問・フェロー。
1947 年高知県生まれ、1969 年早稲田大学政経学部経済学科卒、日本経済新聞社入社、産業部、経済部記者を経てブリュッセル特派員、ニューヨーク支局長。取締役論説主幹、専務執行役員主幹、コラムニストを歴任。早稲田大学大学院客員教授、明治大学国際総合研究所顧問・フェローを経て現職。
主な著書:『分断の時代---混迷する世界の読み解き方』(日経 BP 社)、『ドルへの挑戦---Gゼロ時代の通貨興亡』(日本経済新聞出版社)、『主役なき世界---グローバル連鎖危機とさまよう日本』(同)、『ベーシック日本経済入門』(同)、『応酬---円ドルの政治力学』(同)、編著に『EUは危機を超えられるか---統合と分裂の相克』(NTT 出版)。