(第28回)「凶器の柄に巻き付けていたはずの布切れ」に血がついていないのでそれを焼却したことにし、実際はその布切れを隠匿保管していた─松橋事件
警察官、検察官の証拠隠しや捏造、嘘によって、そしてそれを見抜かなかった裁判所によって、無実の人が処罰されてしまった数々の冤罪事件が存在します。
現役時代、30件以上の無罪判決を確定させた元刑事裁判官・木谷明氏が、実際に起こった事件から、刑事裁判の闇を炙り出します。
(毎月中旬更新予定)
本件は、警察が被疑者に虚偽自白させただけでなく、その自白と矛盾する重要な物証を隠匿してしまったというとんでもない事件である。
松橋(まつばせ)事件
- 熊本地判昭和61年12月22日(公刊物不登載)
- 福岡高判昭和63年6月21日(公刊物不登載)
- 最決平成2年1月26日(公刊物不登載)
- 熊本地決平成28年6月30日(公刊物不登載)
- 福岡高決平成29年11月29日(公刊物不登載)
- 熊本地判平成31年3月28日(公刊物不登載)
1 どういう事件だったのか
昭和60年1月8日朝、熊本県松橋町のVさんの自宅で、Vさんの死体が発見された。死体は「頚部付近を刃物でめった刺し」にされていたので、Vさんが何者かに殺害されたことは明らかであった。
2 捜査はどう進んだのか
死亡時期は2日前の1月6日午前零時過ぎ以降と推定された。警察は、Mさんが前夜共通の友人A夫妻とともにA方で飲酒した際、Vさんと激しく口論した事実を突き止め、Mさんに対する嫌疑を深めた。警察がMさんを「任意同行」に名を借りて警察に連行しその点を追及すると、当初否認していたMさんが次第に事実を認め始め、長時間の取調べの後最終的には全面的に自白するに至った。
自白によると、Mさんは、かねてVさんに対し反感を抱いていたが、当夜同人と激しく口論したことなどから憤激の念を強め、一旦帰宅した後、刃体の長さ約11センチメートルの切出し小刀を持ち出してV方に赴き、こたつに座っていたVさんの頸部、顔面など13か所を10数回突き刺したということになっている。しかし、使用したとされる小刀やその柄には血液が付着していなかった。
そこで取調官は、Mさんをさらに厳しく追及した上、この点について、「柄に血液が付着するのを防ぐため、自宅室内にあった古いシャツの布切れを切り取って小刀の柄と刃の接合部分に巻き付けていた。刃の部分は、帰宅後砥石で研いだ。布切れは、後刻、自宅の風呂釜で燃やした」という自白調書を作成した。
3 裁判の経過はどのように進行したのか
Mさんは、公判において犯行を否認して争おうとしたが、国選弁護人から「本件で否認するのであれば、私選弁護人を選任してもらいたい」と言われ、第1回期日で起訴事実を認めてしまった。しかし、Mさんがその後の被告人質問で「自分は犯人ではない」と主張するに至ったため、当初の国選弁護人が解任され、新たに選任された国選弁護人が弁護に当たった。
しかしながら、Mさんの主張は認められず、1・2審の有罪判決に対する上告も棄却されて、懲役13年の有罪判決が確定してしまった。
上告が棄却された後、上告審の国選弁護人であった斉藤誠弁護士は、Mさんの無実を確信して再審請求の決意を固め、有志弁護士を募って弁護団を結成し準備活動を始めた。そして、その準備活動の一環として、熊本地検に対し証拠の開示を求めたところ、同地検は、証拠書類の開示は拒否したものの、大量の証拠物を開示した。そして、弁護団は、それら証拠物の中に、Mさんが「小刀の柄に巻き付けて後刻焼却した」と自白していた布切れが現存する事実を発見した。
弁護団は、この布切れに加え、「Vの身体に残された創は、Mさんが自白する小刀によって作ることできない」とする法医学者の鑑定書を新証拠として、再審を請求した。
第1審の熊本地裁が再審開始決定をし、この決定に対する検察官の不服申立ては高裁・最高裁でいずれも棄却された。再審公判で熊本地裁は、Mさんに無罪判決を言い渡し、これに対しては検察官も控訴せず、Mさんの無罪判決がようやく確定した。しかし、このとき、Mさんが逮捕されてから34年が経過しており、認知症の進んだMさんは、判決の意味を十分理解できない状態であった。
4 違法捜査の内容はどのようなものであったか
本件においてまず問題となるのは、捜査官がMさんに、「小刀で切りつけた際、小刀の柄に布切れを巻いていたが、この布切れは帰宅後燃やしてしまった」と虚偽自白させたことである。小さな小刀でVに切りつけて多数の創を負わせれば、当然、柄にも刀身にも血液が付着する。しかし、現実には小刀にそのような血液付着の事実がなかった。そこで、捜査官は、刀身と柄に血液付着の痕跡がないことを、「帰宅後刃の部分を研いだ」とか、「柄には布切れを巻き付けておりその布切れは風呂釜で燃やしてしまった」と供述させることにより合理化しようとしたのである。
しかし、Mさんが柄の部分に巻き付けたと自白した布切れには、血液が付着していなかった。そのため捜査官は、これを「焼却した」と自白させて「現存しない」こととし、公判廷に提出することなく事実上隠匿してしまったのである。この点で、本件の違法捜査は甚だ手が込んでいる。捜査官は、「Mさんが無実であることを知りながらあえて犯人として起訴した」ものとみられてもやむを得ない。
Mさんに対する警察の取調べには大きな問題があった。警察は、Mさんを警察に「任意同行」したことになっているが、それは「任意」に名を借りた「強制連行」であった。Mさんは、その後長時間にわたって厳しい取調べを受け、虚偽自白をさせられたのである。
本件について再審が開始されるきっかけになったのは、弁護人の証拠開示請求に対し、熊本地検が、再審請求前であるのに、証拠物の開示に応じたことである。伝えられるところによると、これは、検察庁内部の手違いであって、本来開示される筈ではなかった由である。しかし、手違いがあったことによって、Mさんの冤罪が結果的に白日の下にさらされることになった。
本件は、証拠(特に証拠物)の開示がいかに大事かを実証する事例というべきであろう。もし、検察庁内部の手違いがなかったとすれば、Mさんは未だに名誉回復できずにいるはずである。
5 弁護人にはどのような問題があったか
本件においては、30年以上経過した後とはいえ、ともかくMさんの名誉は回復された。しかし、Mさんの救済にこれほどの長期間がかかったのは、弁護人や裁判所の対応にも問題があったからである。
弁護人の問題は、公判で事実を否認しようとするMさんに対し、当初の国選弁護人がそれを押し止めたことである。捜査段階での自白に弁護人自身の目が曇らされていたのは重大問題である。次回に紹介する足利事件でも同じ問題があった。弁護人が自白調書から有罪の心証を得て、事実を否認する被疑者の言い分に耳を傾けることなく、有罪を前提とする弁護活動をすることは、誠実義務の観点からも許されるはずがない。他方、上告審の国選弁護人が、上告棄却後、有志を募って再審弁護団を構成し再審無罪判決に導いた功績は甚大である。
6 裁判所にはどのような問題があったか
確定審裁判所は、3審を通じてMさんを有罪と認めた。確定審段階では布切れの存在は明らかにされていなかったが、検察官が提出した旧証拠には、それ自体の中に重大な疑問ないし問題点があった。そもそもMさんの身辺からは、血痕付着の着衣等が全く発見されていない。刃体の長さが10センチメートル余りの小さな小刀でVさんの頸部付近をめった刺しにすれば、犯人も当然多くの血液を浴びるはずであるから、この点は簡単に見逃せる問題ではない。
また捜査官は、凶器に血液が付着していなかった点を、「柄に布切れを巻き付けた」という自白で合理化しようとした。しかし、布切れを切り取ったとされるシャツは自宅にあったので、Mさんは、「家を出る段階で刀身に布切れを巻き付けた」ことになる。しかし、憤激の余りV殺害を決意したというMさんが、自宅を出る前にこのような準備行為をしたという想定自体にも、常識的に考えて無理がある。これらの疑問を根拠に裁判所が真相の究明に努力すれば、Mさんを無罪とするまでに34年もの長年月を要することはなかったのではないか。
7 参考文献
三角恒「松橋事件再審開始決定に関する弁護人の考察」判例時報2368号134頁
齊藤誠「松橋事件再審請求 もうすぐ(3月28日)、無罪判決の予定」法と民主主義526号20頁
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1937年生まれ。1963年に判事補任官。最高裁判所調査官、浦和地裁部総括判事などを経て、2000年5月に東京高裁部総括判事を最後に退官。2012年より弁護士。
著書に、『刑事裁判の心―事実認定適正化の方策』(新版、法律文化社、2004年)、『事実認定の適正化―続・刑事裁判の心』(法律文化社、2005年)、『刑事裁判のいのち』(法律文化社、2013年)、『「無罪」を見抜く―裁判官・木谷明の生き方』(岩波書店、2013年)など。
週刊モーニングで連載中の「イチケイのカラス」(画/浅見理都 取材協力・法律監修 櫻井光政(桜丘法律事務所)、片田真志(古川・片田総合法律事務所))の裁判長は木谷氏をモデルとしている。