『最後通牒ゲームの謎—進化心理学からみた行動ゲーム理論入門』(著:小林佳世子)
「おわりに」より
本書で考えてきたような問題に興味をもったきっかけは、私自身の学生時代にまでさかのぼります。
学部は経済学部ではありませんでした。いろいろなことに悩み、結果として必ずしも真面目とはいえなかった高校時代、きちんと進路を考えないままに入学しまった大学では、学ぶ面白さを見つけることができず、気がつけばサークル活動ばかりに熱心な、悪い見本のような学生でした。あるときその現状に疑問をもち、思いきって、”日本一”とされる大学の講義に、勝手に出かけてみることにしました。理系も文系も関係なく、勝手に調べたシラバスで、少しでも面白そうだと思った講義に、片っ端から出席をしてみたのです。一度も休まずに最後まで聴講した唯一のクラスが、ミクロ経済学でした。前のめりになって聞いていたのは、900 番教室 2 階席の最前列やや左よりの席、奥野先生のテキストを使った岩井先生の講義です。そこではまった経済理論の美しさとゲーム理論の爽快さに惹かれ、自分の大学に戻って一人図書館に通う日々から、とうとう、勢いのままに大学院にまで進学してしまいました。
学部時代の基礎がない、そんな焦りの気持ちで始まった院生活でした。目の前のテキストを理解することだけに必死な時間が続き、そんな中でときおり覚える経済学に対するかすかな”違和感”は、「わかっていないが故の疑問」と、考えることもなく一蹴していました。とはいえそんな中でもゲーム理論の魅力にはますますはまり、日本とアメリカでの大学院での学びは、苦しさと楽しさのないまぜになった、一言では表せない、決して忘れられない大事な時間です。
そうして頭の先までどっぷりと合理性の経済学につかって育ち、日本に戻ってきて間もなく、尊敬する先生の講演会で聞いたのが、「経済学で、”革命”が起きている」、そんな言葉でした。正確な言葉は思いだせませんが、経済学の中で大きな変化が起きているというその言葉はあまりに印象的で、大きな引っ掛かりを残して、私の日本での時間が始まりました。
そうしていつのまにか教える立場となりましたが、しかしそうなってもなお、折々に、あの違和感が自分の中で頭をもたげことに気がつきました。これはもういいかげんこの違和感と正面から向きあうしかない、そう思ったときに頭をよぎったのは、あの講演会での言葉でした。そこで紐解いたのが、行動経済学のテキストです。自分でも驚くほどあっという間に、引きずり込まれるようにのめりこみました。これほど学ぶことが面白くなったのは、経済学に初めて出会った、あの 20 歳のころ以来でした。
とはいえ行動経済学を学ぶにつれて、こちらにもまた、若干の違和感を覚えるようにもなりました。「不合理的行動のカタログ」と同僚の先生がとても的確に表現されましたが、ヒトの不合理さばかりを面白おかしくあげつらうかのような、そんな一部の風潮に対してです。ヒトはそんなにも、ただただ”愚か”なのだろうかと、そんな疑問を感じるようになりました。
同時に、アノマリーばかりに着目する傾向にも違和感を覚えました。実験をしても、経済学の理論が指し示すような「合理的」な結果しかでてこないとき、”アタリマエすぎる”として、「論文にならない! 」「アノマリーはどこにあるのか⁉」といわれてしまいます。しかしそうやってアノマリーばかりを集めていても、それでは「不合理的行動のカタログ」が分厚くなるばかりです。
「合理的な結果」を”アタリマエ”と排除することは、裏を返せばそれは、ヒトがエコンのように行動することがしばしばあることを認めていることでもあります。「合理的」なふるまいがそれだけ”アタリマエ”であるというのならば、「合理的」にみえるものとみえないもの、それらすべてを一緒にみていかなければ、これらの境界がみえてくることもなく、ましてや、「ヒトの選択の根底にあるもの」がみえてくることもないのではないか、そう思ったのです。本書は、伝統的な経済学にも、その批判として生まれたとされる行動経済学にも、その両者に感じたそんな小さな違和感から生まれたものです。
行動経済学を学ぶ中で、進化心理学を知りました。進化心理学とは、進化の中で心の問題を考える学問です。経済学、行動経済学、進化心理学、これらの世界を知るたびに、大げさにいえば世界の見方が変わりました。経済学は、問題に向き合う姿勢や考え方を教えてくれただけでなく、すべての基礎ともいえる、考える力の大切さを私に教えてくれました。その後出会った行動経済学は、自分の感じた違和感は恐れずに言葉にしていいし、それをまた追究していいのだということを教えてくれました。進化心理学は、今までとは違う、まったく新しい世界の見方を教えてくれました。
進化の考え方を知ることで、ヒトの体も脳も、そして心も、生きて生きて生き延びて、そして命をつなぐことにどれほど懸命なのかと、感動すらするようになりました。40 億年ほど前ともいわれる、見当もつかないはるか昔に誕生した生命が、必死に生きて命をつなぎ、今日の私たちがいます。その痕跡が、今を生きる私たちに刻まれていることが、疑いようのない事実として感じられるようになりました。ほかでもない私たち自身の体と脳とそして心が、これほどまでに懸命に「生きよう」としているのならば、それに負けないような生き方をしないといけない、またそれを次の世代を担うこどもたちにも伝えたい、そんなことまで思うようにもなりました。また進化の視点でみていくことで、ヒトには、「認知しやすい情報」と「認知しにくい情報」があることもわかり、それは本書を書くときはもちろん、「教える」、「伝える」という私の日々の仕事の中でも役立つ見方ともなりました (そういった視点で書かれ参考になった本が、『進化教育学入門 — 動物行動学から見た学習』(小林朋道 2018) です)。
学ぶこと、知ること、考えることが、今はただただ楽しくてたまりません。今もなおこんなにもワクワクとした気持ちで学問と向きあえることには、感謝の気持ちしかありません。学ぶことや考えることのその楽しさを伝えること、そしてなにより少なくともひとつは”お土産”をもちかえってもらうこと、この 2 つが、私が日々の講義で強く意識していることです。1 人で学ばざるをえないことも多かった自分を振り返ると、「意地でもわかりやすい本にしてやる! 」そんな思いもありました。「海よりも深く考えろ! 」そんな先輩の声も何度も思いだしました。
本書では、理系も文系も関係のない、多岐にわたる分野にまたがった議論をしています。分野を超えた議論をするためにも、どんな専門分野の方にでも読める本にしたいと強く思いました。そこで目指したのは、学部生はもちろん、一般の方やさらには高校生のみなさんも含めた、「誰にでも読める専門書」です。ただしその結果注釈だらけの本となり、まるで、一般の方向けと専門書との、2 冊分のような本となってしまいました。読みにくさを感じたみなさまには、お詫びいたします。それでも本書をここまで読んでくださったすべての方に、もしなにかひとつでもお土産があったなら、これほどうれしいことはありません。また、学部生や高校生など若い読者のみなさまには、小さな疑問をただひたすらに深掘りしていく、このふるえるような楽しさを少しでも感じてもらえたら……、実はそんな願いももっています。
目次
- はじめに—最も不可思議な結果!?
- 第1章 謎解きの道具
- 第2章 ホモ・エコノミクスを探して
- 2-1 見知らぬ人と分かちあう
- 2-2 実験:やってみなくちゃわからない!
- 第3章 「目」と「評判」を恐れる心—なぜ独り占めしようとしないのか?
- 3-1 独裁者ゲーム:ノーとはいわせない!
- 3-2 観察者の目:見てるぞ~~~
- 3-3 絆と孤独はアメとムチ
- コラム:孤独について
- 3-4 独裁者ゲーム:バリエーション
- コラム:奇妙な(WEIRD)……?人々
- 第4章 不公平への怒り—なぜ損をしてまでノー!というのか?
- 4-1 アンフェアは許せない!!
- 4-2 損をしてでも罰したい!!
- 4-3 罰の甘き喜び
- コラム:男の子はヒーローがお好き!?
- 4-4 第三者罰7
- 4-5 見えざる手がもつ諸刃の剣
- 第5章 脳に刻まれた「力」—裏切り者は、見つけられ、覚えられ、広められる
- 5-1 裏切り者を見つける力
- 5-2 裏切り者を覚え伝える力
- 5-3 エラー管理理論
- コラム:エラー管理理論の応用1:行為者への敏感さ
- コラム:エラー管理理論の応用2:初対面の人への「無難な」ふるまい
- 5-4 ゲームからわかってきたこと
- 第6章 進化の光
- 6-1 適応合理性
- コラム:進化の中の肥満
- 6-2 協力行動の進化
- コラム:自粛警察
- あとがき
- もっと勉強したい方へ
- ゲームの詳細補足—公共財ゲーム・順序付き囚人のジレンマゲーム・信頼ゲーム
- 引用文献
書誌情報など
- 『最後通牒ゲームの謎—進化心理学からみた行動ゲーム理論入門』
- 著:小林 佳世子
- 紙の書籍
-
予価:税込2090円(本体価格 1900円)
-
発刊年月:2021年6月
-
ISBN:978-4-535-55986-8
-
判型:四六版
-
ページ数:256ページ
-
- Amazonで紙の書籍を購入
- 楽天ブックスで購入
- セブンネットショッピングで購入
- hontoで購入