(第36回)「フィデューシャリー・デューティー」の理解を深める(有吉尚哉)
(毎月中旬更新予定)
神作裕之「金融と「フィデューシャリー・デューティー」(上・下)」
金融実務において、主に顧客本位の業務運営に関する原則との関係で、「フィデューシャリー・デューティー」を意識し、これを遵守することの重要性が指摘されることが増えている。もっとも、Fiduciary Dutyはもともと英米法の概念であり、「受託者責任」あるいは「信認義務」といった訳語が充てられることがあるが、これらの概念が日本の法令において直接定められているものではない。また、日本語の「フィデューシャリー・デューティー」とFiduciary Dutyとが完全に対応する概念として用いられているのか必ずしも明確ではない状況にある。このような事情もあり、「フィデューシャリー・デューティー」が何を意味するのか、その概念を具体的に理解することは必ずしも容易ではない。
金融機関の法務・実務担当者等にとって、このフィデューシャリー・デューティーを踏まえて、金融規制を遵守したり、顧客本位の業務運営に関する原則に即した業務を執り行ったりするための実務対応の具体的な内容・処理手順を検討することの重要性はもちろん否定されるものではない。もっとも、先例のない場面などでも柔軟に対応できるよう、望ましい実務対応の一般的・抽象的な指針となるものとして、フィデューシャリー・デューティーの概念を把握することも重要となる。両者のバランスをとってフィデューシャリー・デューティーの理解を深め、実務対応にあたることが求められることになる。
本稿は、会社法や金融規制法の分野の第一人者である東京大学法学部・法学政治学研究科の神作裕之教授が金融分野におけるフィデューシャリー・デューティーについて論じたものである。前述の事情から、意味が曖昧なままで用いられることも少なくないフィデューシャリー・デューティーについて、英米法におけるFiduciary Dutyとは異なりソフトロー上の規範をも含むものとしてその概念を整理した上で、部分的にハードローによって規律されている適合性原則を取り上げてフィデューシャリー・デューティーの意義について考察が行われている。日本の金融規制や金融実務を念頭に置いた上で、フィデューシャリー・デューティーについて理論的な検討を行う貴重な文献といえる。
本稿は、金融分野におけるフィデューシャリー・デューティーについて、次の3項目に整理できるとし、①インベストメント・チェーンに関わる金融機関・金融事業者のスチュワードシップ活動に関する行為規範、②金融商品販売業者等による金融商品・金融サービスの提供における適合性の原則、③組織としての金融機関・金融事業者の情報管理への適切な体制整備とその内部統制を含む適切なコントロールに係る行為規範の3項目を指摘する。そもそも日本におけるフィデューシャリー・デューティーを理論的に論じた文献は多くないが、さらに、フィデューシャリー・デューティーの位置付けを金融分野全体で横断的に論じるものはほとんどないと思われる。本稿の横断的な整理は、金融機関の法務・実務担当者等が、広い視点からフィデューシャリー・デューティーの理解を深めるのに有用な記述といえる。
また、本稿では、顧客本位の業務運営に関する原則について金融事業者のフィデューシャリー・デューティーをプリンシプルの形で提示するものと捉えた上で、同原則に違反した場合の法的効果が整理されている。具体的には、①金融商品取引法上の適合性原則違反又は誠実公正義務違反に該当する可能性があること、②不法行為法上の注意義務の範囲・程度が、業法・監督法上の規範・自主規制に基づく社会規範によって規定される可能性があること、③適合性原則から著しく逸脱した証券取引の勧誘が民事法上、不法行為責任を惹起する可能性があること、④狭義の適合性原則違反として売買等の契約の効力が否定される可能性があることといった内容が説明されている。近年、金融規制の分野ではソフトローを利用した規律づけがなされることが増えているが、ソフトローの効力や法令との関係は必ずしも明らかにされていないことが少なくない。本稿では、前述のとおり、顧客本位の業務運営に関する原則違反の効果を整理した上で、「ソフトロー上とハードロー上の適合性原則または誠実公正義務との関係は、かなり複雑であり、金融監督のあり方もその双方に密接に関わる」とまとめている。この点は、金融機関がソフトローとしてのフィデューシャリー・デューティー、あるいはそれをプリンシプル化した顧客本位の業務運営に関する原則を踏まえて、どのように業務を行うか、効果の観点から金融機関の法務・実務担当者等に指針を示す議論といえる。
金融商品・金融取引の複雑化・高度化に伴い、金融分野では、今後もソフトローやプリンシプルベースによる柔軟な処理が可能となる規律が定められることが増えるものと予測される。その際、ルールベースによるハードローのように具体的な規律が定められてはいない中で、金融に関わる当事者には、個別具体的な状況に応じて何が適切な行動であるかを自ら判断して、対応をとることが期待されることになる。フィデューシャリー・デューティーという考え方は、そのような判断の際の中核的な要素になるものであり、その概念の理解を深めるため、金融機関を中心とした多くの企業の法務・実務担当者に本稿を通読していただきたい。
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2001年東京大学法学部卒業。2002年西村総合法律事務所入所。2010年~11年金融庁総務企画局企業開示課専門官。現在、西村あさひ法律事務所パートナー弁護士。金融審議会専門委員、金融法委員会委員、日本証券業協会「JSDAキャピタルマーケットフォーラム」専門委員、武蔵野大学大学院法学研究科特任教授、京都大学法科大学院非常勤講師、一橋大学大学院法学研究科非常勤講師。主な業務分野は、金融取引、信託取引、金融関連規制等。主な著書として『金融機関コンプライアンス50講』(金融財政事情研究会、2021年、共編著)、『リース法務ハンドブック』(金融財政事情研究会、2020年、共編著)、『個人情報保護法制大全』(商事法務、2020年、共著)、『債権法実務相談』(商事法務、2020年、監修・共著)、『ファイナンス法大全〔全訂版〕(上)・(下)』(商事法務、2017年、共編著)等。論稿多数。