(第40回)法律論としての株式評価と構造的な利益相反(久保田安彦)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
アートネイチャー株主代表訴訟事件最高裁判決
非上場会社が株主以外の者に発行した新株の発行価額が商法(平成17年法律第87号による改正前のもの)280条ノ2第2項にいう「特ニ有利ナル発行価額」に当たらない場合
最高裁判所平成27年2月19日第一小法廷判決
【判例時報2255号108頁】
本件は、全株式譲渡制限会社が行った新株発行につき、有利発行であるのに、それに必要な手続を踏んでいないという法令違反があるとして、株主が株主代表訴訟を提起して、取締役の会社に対する任務懈怠責任を追及した事案の上告審である。
本件をめぐる論点は多岐にわたるが、上告審で主に問題とされたのは、そもそも本件新株発行が有利発行に当たるどうかである。有利発行とは、株式のその時点の価値を基準にした公正な発行価額(払込金額)を特に下回る価額で新株が発行される場合を指すから、ここでの主たる問題は、市場価格のない株式の価値をどのように算定すべきかという株式評価論である。この問題について、本判決は、「客観的資料に基づく一応合理的な算定方法によって発行価額が決定されていた」場合は、特別の事情のない限り、有利発行に当たらないとする規範を示したうえで、本件新株発行は有利発行に当たらないとして、取締役の責任を否定した。
こうした規範を文字どおりに理解すると、有利発行性の判断については取締役に広い裁量が認められることになる。それでは、なぜ最高裁は、そのような規範を採用したのだろうか。最高裁自身が挙げる理由は、市場価格のない株式の評価については、どのような場合にいずれの手法を用いてどのように評価すべきかが確立していないところ、そうした状況では、「取締役会が客観的資料に基づく一応合理的な算定方法によって発行価額を決定したにもかかわらず、裁判所が事後的に有利発行性を判断すると、取締役らの予測可能性を害することともなり、相当でない」というものであった。
最高裁が取締役の予測可能性を考慮したことについては、好意的に受け止める向きもある。たしかに取締役の予測可能性がない場合にまで取締役の責任を認めてしまうと、実務が萎縮し、望ましい新株発行まで抑制されかねない。しかし、取締役の予測可能性がない場合は、(有利発行性が肯定されたときも)取締役に過失がないとすることで、取締役の責任を否定することもできる。そのため、取締役の予測可能性の考慮は、それだけでは、有利発行性の判断について取締役に広い裁量を認めることの十分な理由にはならないはずであろう。
しかも、最高裁は「取締役らの予測可能性を害することともなり」(太字筆者)と述べる。このことからすると、取締役の予測可能性の考慮は付随的な理由付けであり、最高裁の「真意」は別のところにあるとみることもできる。ここで筆者が直感的に思ったのは、最高裁は、株式評価は株式評価機関や公認会計士等の専門家に任せておけばよいと考えたのではないか、だからこそ、そうした専門家の株式評価に依拠した取締役の判断を尊重するために前記のような規範を述べたのではないか、そして、そうした考えの根底には、株式評価は法律論ではないため、裁判所が積極的に介入する必要はうすいという見方があるのではないか、ということであった。
これは筆者の直感にすぎないため、これまでどこにも書いたことはないのだが、まったく根拠がない直感というわけではない。会社法上、最も多く株式評価が争われてきたのは、裁判所が譲渡制限株式の売買価格を決定する場面であるが、そこでも裁判所は同様の考え方に立っているとみられるからである。
すなわち、伝統的に裁判所は、譲渡制限株式の売買価格を決定するときに、株式評価機関や公認会計士等の株式評価に大きく依拠してきた。しかも、そこでの株式評価は、通常の株式取引の場合に付けられるであろう価格(交換価値)を算定するというものである(これは株式評価機関等の専門家に委ねるべき株式評価である)。ところが、そのような株式評価だと、例えば、多数派株主は役員報酬・従業員給与などを通じて会社から多額の利益の分配を受ける一方、剰余金配当は不当に低く抑えられ、少数株主は会社から利益の分配をほとんど受けていないといった場合は、少数株主の保有株式の価値は多数派株主の保有株式と比べてかなり低い額に算定されてしまう。そこで、江頭憲治郎教授や宍戸善一教授などによって、「法律論」として、株主間の適切な利害調整といった会社法の理念に適うような株式評価のあり方(いわゆる規範的価値評論)を考えるべきであることが有力に主張されてきた。筆者もこうした規範的価値評価論に与する一人なのだが、多くの裁判所は規範的価値評価論に冷淡な態度をとり続けてきたのである。
最初に本判決に触れたとき、前記のような直感を抱いて、気持ちが沈んだことを良く覚えている。しかし、そうした気持ちは次第に、規範的価値評価の意義をより説得的な形で示したいという気持ちへと変わってきた。その後、湯原心一教授と共同で執筆したのが、事後に裁判所がどのような株式評価をするかによって当事者の事前のインセンティブは影響を受けるという考え方を前提に、当事者のインセンティブの歪みを生じさせないような(望ましくないインセンティブを与えないような)株式評価のあり方を論じる論考(久保田安彦=湯原心一「譲渡制限株式の売買価格(上・下)」商事法務2190号4頁以下・2191号13頁以下)である。そこでは、直接的には、裁判所による譲渡制限株式の売買価格の決定の場面を取り上げて検討しているが、その検討結果は、新株発行の有利発行性が問題となる場面やM&Aの場面にも基本的に妥当すると考えている。
また、改めて本判決の事案にフォーカスすると、本件新株発行の引受人は取締役であるという事情がみられた。そうした事情がある場合は、取締役は既存株主の犠牲のもと、自己の利益を優先する行動をとる可能性が小さくないという構造的な利益相反が存するから、その意味でも、有利発行性の判断について取締役に広い裁量を認めるのは妥当でないであろう。正直に白状すると、本判決が下された直後は、実は筆者自身もこうした構造的な利益相反の問題に十分な注意を払っていなかった。しかしその後、この点を説得的に指摘する論考(松中学「大王製紙新株予約権付社債の発行をめぐる損害賠償請求事件の検討(上)」商事法務2192号10頁以下)に刺激を受けて、構造的な利益相反を重視する観点から、有利発行規制の意義を問い直す論考を執筆するに至った(久保田安彦「公開会社の有利発行規制の再検討」吉本健一先生古稀記念論文集『企業金融・資本市場の法規制』(商事法務)121頁以下)。
こうして振り返ってみると、本判決は、法律論としての株式評価(規範的価値評価)、そして、構造的な利益相反という二つの重要なテーマについて再検討する契機を与えてくれたという意味で、筆者にとって心に残る判決である。
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1971年生まれ。早稲田大学法学部助手、早稲田大学商学部助教授、大阪大学大学院法学研究科准教授などを経て、現職。
著書に、『企業金融と会社法・資本市場規制』(単著、有斐閣、2015年)、『会社法の学び方』(単著、日本評論社、2018年)、『会社法判例40!』(共著、有斐閣、2019年)、『会社法(第3版)』(共著、弘文堂、2020年)、『数字でわかる会社法(第2版)』(田中亘編、共著、有斐閣、2021年)など。