(第1回)偉い人が始めた事業をやめられない

日本のリーダーはなぜ決められないのか――経営に活かす精神分析(堀有伸)| 2022.01.21
経営における意思決定に、深層心理はどのような影響を与えているでしょうか。この連載では、日本の文化や慣習が組織のリーダーの「決断」にどのような影響を与えているかを、MBAで学んだ精神科医が、精神分析理論等を参照しながら明らかにしていきます。

(毎月下旬更新予定)

精神科医がMBAで学ぶ

なぜ、あんなにも優秀で、数多くの実績を残している人々が、ありえない意思決定を行い、自分が率いる会社や事業を危機に陥らせてしまうのか。

なぜ、日本はこの30年、多くの問題を指摘され、経済的な優位性を失い続けているのに、この流れを変えることができないのだろうか。

この連載では、日本人や日本社会の意思決定のあり方における深層心理を考察の対象にしていく。筆者の背景については、次回以降でくわしく紹介する機会もあると思うが、今回は「MBAでビジネスを学ぶ精神科医」ということを明らかにしておきたい。

筆者が精神科医として、日本社会における意思決定のあり方に興味をもつようになったのは、次のような経験を通じてである。症状が進んだうつ病の患者で、日常生活が成り立たなくなっている人がいたとする。その人に主治医として「休むことが必要」「入院したほうがよい」と伝えても、「周りに迷惑をかけるから休めない」という答えが返ってくる。客観的には、症状が強いために、職場に行っても事故のリスクもあるし、戦力になっていない状況である。この事情を家族に説明し、職場に説明し、周囲から説得してもらってようやく「休む」ことに納得してもらえる。不可解なほどに、「自分がつらいから休む」という意思決定はなされず、それが回避されてしまう。

そのような個人と、その個人のありようが現れる集団の場の性質について、精神分析理論を用いた、深層心理についての考察を筆者は深めてきた1)。その知見は、現代のビジネス状況の分析にも応用できるところがあるのではないかと考えている。

一方で、MBAで学ぶなかで、ビジネスに関する場面で、人間や集団の問題に対し、精神医学とはまったく異なる論理的な方法で分析を行い、明確な行動の指針を導く手法にひどく圧倒されて感心したことを告白しておく。私にとっては、異質な優れたものと出会う経験だったが、次第に両方を統合して考えることができるようになってきていると思う。

冒頭に記した「なぜ日本は経済的優位を失い続けているのに、この流れを変えられないのか」という問いへの答えの一つは、「ファイナンスについての知識や理解が、アメリカや他国の経営者の水準に比べて、日本では低いから」かもしれない。しかし「日本は遅れているからダメだ」式の議論では、先に進まない。次に問うべきなのは、他の場面では他国を圧倒するほどに論理的かつ現実的に考えられる日本人が、なぜいくつかの領域ではその能力を発揮できなくなってしまうのか、という事柄である。その分析のために、精神医学の深層心理についての知見を活用したい。

日本における意思決定

さて、この第1回で論じるのは、「なぜ、偉い人が始めた事業は、環境が変わって赤字になっても、すぐにはやめられないのか」という問題である。

この記事を読んでくださっている方が所属する組織でも、このようなことは現実に起きているのではないだろうか?

なぜそれを始めるのかもよくわからないまま、事業に着手。しばらくの時間が経過。環境が変化し、見通しのようにはプロジェクトが進まず、誰の目から見ても先行きが暗いにもかかわらず、「A常務肝入りのプロジェクトだから」という理由で、見直しをかける動きさえない。いつもは威勢のいい役員もダンマリを決め込んでいる……。

そもそも、日本における意思決定は、どのように、誰によって承認されるのだろうか。

民主主義の社会では、建前として、自分の行動は自分で決めてよいことになっている。しかし現実は、本当にそうなっているだろうか。みずからの意思決定について、他者からの干渉を受けない個人は、どれほどいるだろう。

たとえば非常に個人的な状況で、「今晩の夕食は何を食べよう」ということならば、「私が、とんかつを食べたかったから、とんかつを食べた」ということで、それを咎められることはないだろう。しかし、組織や集団にかかわる重大な意思決定の場面では、「自分がそうしたかったから、そうした」だけでは済まされない場合が多い。

まず指摘したいのは、日本社会における意思決定の正当性の承認のされ方が、非常に複雑な性質をもっているという点である。「社会に承認されるか否かなど、関係ない」と考える人もいるだろう。しかし、リーダーを目指す人はそれだけでは集団をまとめられない。やはり、決定を行った意思の内容が、その社会・集団で正当性があると承認されなければ、影響力を発揮することはできない。

日本論の古典である『菊と刀』2)では、日本では、むき出しの権力を行使しようとする人は周囲からの強い反感や敵意を向けられることになると指摘された。また、政治学者の白井聡3)は、日本史を貫く傾向として、権威と正当性の源泉である天皇と、実際の権力者として任命された征夷大将軍とが分かれていた時代が長かったために、征夷大将軍のような権力者は、少なくとも表面的には天皇への敬意と忠誠を表明しなければならなかったことを示した。つまり、自分以外の社会的な権威の裏づけがなければ、その時代における最高権力者であっても、意思決定の正当性が承認されなかったのだ。逆に、このほうが権力者にとっても都合がよい面もあった。自分自身が号令をかけるよりも、まず権威者に号令をかけてもらい、自分が真っ先にそれに服従してみせるほうが、人々はその号令によく従ったし、自分が号令をかけたことによる反発も受けずに済んだからだ。

いずれにしても、これは相当に複雑なプロセスである。そして、その時代の一番の権力者ですらそうだったのだから、より下位の人々が自分の主張を正当だと認めてもらうことは、さらに容易ではなかった。このような社会の仕組みは、平和な時代には社会をさらに安定させるように働いた。そのうえで、その権威が担保する序列における下位の者を統制しやすいという、上位者から見た利点もあった。たとえば、実績を示した下位の者からの提案が、何らかの形で既存の権威や既得権益を損なうものであれば、その提案内容の本質的な部分を無視したまま、提案者の「権威を敬わない徳の至らなさ」を批判して否定することが可能だったのである。ここから、自分より格下と考えている相手について、「あいつは大きな顔をし過ぎている」「給料をもらい過ぎている」といった発想に至るのはすぐだ。

この原則を官僚的なやり方で応用したのが、「申請のための手順と書式を、非常に難しく手間がかかるようにしておく」方法である。それによって、下位の者からの攻撃的な要求が影響力をもつことを遅らせることができる。そして、みずからが設定して習熟した形式に違反している部分を指摘して、申請者にやり直しを繰り返し要求することで、その申請内容の本質的な部分にダメージを与えることができるのだ。

日本的意思決定の副作用

しかし、このような方法には、当然のように副作用がある。その最も大きなものは、複雑で変化の早い状況での意思決定の遅れにつながることだ。

意思決定が遅れることの例として、「偉い人が始めた事業は、環境が変わって赤字になってもやめられない」ということも挙げられる。ある組織の責任者は、自分がその組織の上位に登るまでの過程で、自組織の権威を重んじる態度を身につけてきたし、下位の者を「組織・集団の権威を十分に敬っていない」という理由で叱責したり、攻撃・排除したりした経験があるはずだ。しかし今度は、他者を統制した原理に自分が拘束されてしまう。組織に偉大な貢献をなした自分の先任者の事業をやめる決定を行うことは、その権威を否定することのように感じられるだろう。

そのうえで、みずからが罪悪感を刺激されて行動できなくなる場合があるし、周囲の関係者から「自組織への敬意が足りない不敬な人間」という烙印を押されることが恐ろしくて決断できなくなる場合もある。かくして、赤字になった事業も継続されることになるのだ。

取り組むべき問題は何か

ここから導き出される現代の組織への教訓はどのようなものだろうか。

私の意見は、組織や集団で目立った人について、「あんな未熟者が、あんなことを言ったり行動したりしているのは認めない」という気持ちが強まったとしても、即座に門前払いにせず、一旦はその主張に耳を傾けるようにするということだ。

もちろん、「複雑すぎる承認プロセス」が機能的でないからといって、逆に振り切ってしまい、どのような主張でもフリーハンドで認めるということはなされるべきでない。あくまで、是々非々の判断は必要である。

しかし、とくに優秀な研究者などの業績が、その研究者の人格の問題と混同して議論されることによって、日本企業で十分に活かされず、他国の組織にその研究者と業績が流出してしまうことの弊害などは、長く指摘されている。私たちは、「自分(たち)が取り組むべき問題(経営課題・事業戦略)は何なのか」こそが、真実に考えるべきことだと気がつかねばならない。

これは、MBAで「イシュー4)」(考え、論じる目的)が重要と伝えられている通りである。チームのメンバーについての道徳的な評価は、優先して考えるべき経営課題・事業戦略にとって本当に重要な事柄なのか。もし違うのならば、メンバーについての道徳的な考慮は、一旦は脇に置かれなければならない。気をつけねばならないのは、他者を道徳的に断罪する行為には、一種の快楽があるということだ。その誘惑に屈服してしまうことは、論理的な思考力を損なうことにもなるのである。

さて、ここまで読んでくださった読者の皆様に心よりお礼を申し上げたい。どのような感想をもたれただろうか。「よく知らない人間がこんなことを論じているのは認められない」と思ったとしても、すぐには切り捨てず、次回以降も読んでいただくことをお願いする次第である。

付記:本連載のビジネスに関する部分については、グロービス経営大学院研究科長の田久保善彦氏の指導を受けている。


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脚注   [ + ]

1. 堀有伸『日本的ナルシシズムの罪』新潮新書、2016年
2. ルース・ベネディクト(長谷川松治訳)『菊と刀―日本文化の型』社会思想社、1967年
3. 白井聡『国体論―菊と星条旗』集英社新書、2018年
4. グロービス経営大学院 MBA用語集「イシュー」

堀 有伸(ほり・ありのぶ)

精神科医。1997年に東京大学医学部卒業後、都内および近郊の病院に勤務しながら現象学的な精神病理学や精神分析学について学んだ。2011年の東日本大震災と原発事故を機に福島県南相馬市に移住し、震災で一時閉鎖された精神科病院の再開に協力した。2016年、同市内に「ほりメンタルクリニック」を開業。開業医となった後にグロービス経営大学院で学ぶ。著書に『日本的ナルシシズムの罪』(新潮新書)、『荒野の精神医学』(遠見書房)。