(第45回)黙殺された日本の市民的不服従─「役人ごろし」の「ヤミ米屋」(住吉雅美)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
どぶろく裁判上告審判決
酒税法7条1項、54条1項の規定と憲法31条、13条
最高裁判所平成元年12月14日第一小法廷判決
【判例時報1339号83頁掲載】
私にはこの判決を持ち上げる気など毛頭ない。むしろ不愉快な判決である。「酒税収入の徴収確保に支障を生ぜしめる」などと実情に合わない理由で酒税法を擁護する一方で、自己消費目的の酒類製造を処罰することにつき「憲法31条、13条に違反するものではない」と憲法判断を回避するという、きわめて内容の薄い判決だからだ。何より腹立たしいのは、こんな判決がデータベースに残っている一方で、それよりもっと重要なもうひとつのどぶろく販売裁判、そしてその裁判の被告人がそれ以前に被告人となったヤミ米販売事件が掲載されていないことである。よくわからないが、日本では裁判所や政府にとって何らかの意味で都合の悪い判決は、データベースに残されないことがあるのだろうか。そこで本稿では標題の判決をダシにして、なぜか司法界で黙殺されてきた、しかし痛快な2つの訴訟事件に光を当てようと思う。
K氏はどぶろく造りを禁止する酒税法と戦った。日本の伝統ある食品の製造を禁止する悪法だという理由であった。1996年にどぶろくの公開仕込みを実施し、それを税務署に持ち込んで告訴するよう求めた。97年12月に東京地方裁判所において、無免許でどぶろくを製造販売し酒税法に違反したとして有罪判決を受けた。彼はどぶろくを60リットルほどつくって3000円の売り上げを得ただけ。それでも懲役4年、執行猶予2年、罰金40万円。彼はそれにもめげず、東京、北海道などでどぶろくを売った。その名も鬼ころしならぬ「役人ごろし」。
法哲学を専門としている私にとっては、このK氏が被告人になったどぶろく訴訟と共に、93年に訴えられて起こった通称「ヤミ米販売事件」が心に残る判例である。なぜかというと、日本では珍しい、市民的不服従の成功例だからである。市民的不服従とは、「政府の法や政策に変化をもたらすことを達成目標としてなされる、公共的で非暴力の、良心的でありながらも政治的な、法に反する行為」(J・ロールズ)と定義される。法治国家では基本的に、悪法であっても議会による改廃を待たねばならないが、合法的手段で改廃を求め続けても効果がないことが明白な場合にはこの手段がとられる。それは問題の法を敢えて犯し、告発されることにより、裁判の場で当該法の不正を世に問うというやり方で行われる。19世紀半ばにアメリカの作家H・D・ソローが、州政府のメキシコ戦争への加担に反対し、その財源となる税金を納めず投獄されたことに端を発する。
K氏もまた、この方法を選んだ。K氏は長年高品質の米を作っていたが、1982年に政府の減反政策に反対すると、米の買い取りを拒否され、米を売ることができなくなった。それをきっかけに、食糧管理法の裏で食糧庁、農協、流通業者らが利権を貪っていることを知った。食管法によって農家を締め付けながら、法を守るべき農協は余った米を恒常的に横流しし、その一方で消費者には古米を混ぜた米を「新米100%」と偽って売りつける。当初は転作拒否の可否を問う行政訴訟を起こすつもりだったが、それでは国の責任が隠蔽されかねないと懸念した彼は、ヤミ米を売って堂々と法律を破る作戦に出た。ザル法と化した食管法の実態を法廷にさらし、裁判所の公の記録に残した方がいいと考えたのだ。違法の証拠を段ボール箱に詰め込み食糧庁に「私を告発しなさい」と出向いた彼に、食糧庁はなかなか応じなかったが、93年についに起訴された。面白いのは、弁護士は彼を「食管法は憲法22条違反で違憲」という論理で無罪にもっていこうとしたのに、K氏は罪状認否で裁判官に「私を重罪にしてください」と言ってのけたことだ。重罪になった方が、法と農政の腐敗をより鮮明に国民に訴えることができると考えたからだ。この発想にも市民的不服従のスピリットがある。公判中にも彼は都内に「食糧庁様、私はヤミ米屋です」という名の店舗を構え、そこには良い米を求める消費者の長蛇の列ができた。1審で罰金300万円(これは重い)の有罪判決を受けたが、裁判官に「食管法は形骸化している」と言わしめた。2審で控訴棄却となったが、上告中に件の食管法が廃止され、結局彼は上告を取り下げ有罪確定となった。そして食糧庁も消滅した。
市民的不服従は表面的には違法行為だが、それは同時によき法秩序を尊重する姿勢を示すことでもある。人種差別への抗議デモに参加して収監されたM・L・キング牧師も「刑罰に甘んじることは、法を心より尊重する態度を示すこと」であると述べていたし、K氏も食管制度自体を否定する訳ではなく、それを良きものにしようとしたまでだ。そのためにこそ、自ら重罪を受け入れ犠牲になることで、悪法の実態を国民に向けて鮮烈にアピールしたのである。彼は自らの訴訟を「裁判所の公の記録に残した方がいい」と考えて行動を起こした。それなのにK氏の訴訟事件が鬼子扱いされて残されていないとは……。これこそ日本では稀な市民的不服従の好例なのに。
いかなる法も制度も、放置されているうちに不正と利権の温床になる。市民的不服従は法治国家の法や制度を補正する手段としてきわめて重要である。裁判も、そのような試みには積極的に応えてほしいものだ。
しかしもう一度言おう。なぜこのような画期的な判例が蔑ろにされてるのか? 法律ジャーナルも裁判所のデータベースも、どうかしてるぜ!!
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青山学院大学教授。
1961年生まれ。北海道大学法学部助手、山形大学人文学部助教授などを経て現職。
著書に、『あぶない法哲学』(講談社、2020年)、『哄笑するエゴイスト――マックス・シュティルナーの近代合理主義批判』(風行社、1997年)、『公正な法をめぐる問い』(共著、信山社、2021年)、『問いかける法哲学』(共著、法律文化社、2016年)、『ブリッジブック法哲学』(共著、信山社、2004年)、『法の臨界〔Ⅱ〕秩序像の転換』(共著、東京大学出版会、1999年)など。