(第7回)法務官は25歳未満者にその援助を約束するものの如し
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。
(毎月上旬更新予定)
Apparet minoribus annis viginti quinque eum opem polliceri.
(Ulpianus 11 .ad edictum D. 4, 4, 1. 2)
アッパーレト・ミノーリブス・アンニース・ウィーギンティー・クインクェ・エウム・オペム・ポッリケーリー
(ウルピアヌス『告示注解』第11巻・『学説彙纂』4, 4, 1, 2)
「25歳未満者」
標題の法文は、2世紀のローマ法学者ウルピアヌスの『告示注解』第11巻からの抜粋として、ユスティニアヌス『学説彙纂』(ディゲスタ)第4巻第4章「25歳未満者について」に採録されている。法務官(プラエトル)とは、ローマの裁判担当政務官であり、上級官職階梯においては、執政官(コンスル)につぐポストであった。共和政期以来法務官は自らの主宰する法廷における裁判方針を告示によって示すことが慣行であった。告示は12表法以来の市民法を「推進・補充・改廃」することによって、ローマ法の発展に大きな役割を果たした。前200年頃には25歳未満者を保護するための法律が制定されたと伝えられている。しかしこの法律だけでは不十分であったためか、その後法務官は告示を発して、その保護を強化しようとした。
ウルピアヌスは、「法律行為が25歳未満者を相手方としてなされたといわれる場合には、本職は各場合の事情に応じてこれを取り扱うべし」という法務官告示の内容を伝えている。法務官はこの告示を発して、25歳未満者に対する法的保護を約束した。ウルピアヌスは、その理由は、25歳未満者が、事物の判断に正確さと的確さを欠き、さまざまな瞞着や奸策の標的になることは明らかだからという。ローマ法の世界では25歳未満者かどうかが法的保護の大きな分かれ目になっていたのである。ローマではこれとは別に「成熟期」という考え方があり、身体的に結婚可能かどうかで判断される。男子の場合、14歳から16歳くらいが成熟年齢の目安ということになるのだが、14歳から25歳までの間ほぼ10年間はいまだ完全な大人とはいえない存在であった。
「大人」の定義が変わる
ここで少し日本の成年年齢事情に目を向けてみることにしたい。成年年齢を引き下げる改正民法の施行により、2022年4月からは18歳で「成年」となった。また女性が婚姻できる年齢も16歳から18歳に引き上げられ、男性と同じになり、これまで別々であった成年年齢と婚姻適齢とが法律上一致することになった。2015年6月には公職選挙の選挙権年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられており、今後私たちの生活のなかで18歳が大きな節目として意識されるようになっていくであろう。「大人」の定義が変わるのは、およそ140年ぶりのことだという。
民法第4条の成年年齢20歳は、明治9年太政官布告第41号(1876年)に「自今満弐拾年を以て丁年と相定候」と定められたことに由来するとされる。『全国民事慣例類集』からうかがうことができる当時の慣習では、「幼年」の年齢も、15歳から22ないし23歳までとかなり地域差があったようである。中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』(岩波文庫、1984年)は、「元服」の項において「少なくとも庶民階級にありては、男子は普通十五歳を以て幼年の境を脱するものなるが故に、この年を以て一人前になるものと看做さる」と記されている。件の太政官布告はこうした地域の差異や慣習を否定し、成年となる時期をおおむね15歳から一気に満20歳へと引き上げたのであり、歴史的に見ればかなり人為的に作り出された制度であった。当時の欧米諸国には成年年齢を21歳とする例が比較的多かったようであり、これらの国々において成年年齢18歳とする若年化の動きが顕著になったのは1970年代以後のことであったように記憶する。
1951年生まれ。広島大学名誉教授。専門は法制史・ローマ法。