『日本の知、どこへ—どうすれば大学と科学研究の凋落を止められるか?』(著:共同通信社「日本の知、どこへ」取材班)
まえがき—国の懐具合と思い付きに振り回された 20 余年
「大学関連の基礎研究が予算の大幅削減で大変なことになっている」と知り合いの研究者から聞いたのは 1998 年の春だった。前年に制定された財政立て直しのための財政構造改革法により、文部省 (現・文部科学省) が所管する大学共同利用機関と国立大附置研究所の運営費や研究費が大きく削減されたのだ。これらの機関は全国の研究者が利用し、国際共同研究も担う基礎研究の拠点であり、学界に与えた衝撃は大きかった。
大学共同利用機関には、エックス線天文衛星や太陽観測衛星を打ち上げ国際的にも評価が高い宇宙科学研究所 (現在は宇宙航空研究開発機構の一部) や米国との素粒子実験での競争を目前に控えた高エネルギー加速器研究機構 (KEK) などがあり、附置研究所には、素粒子ニュートリノの質量確認という大発見を成し遂げた観測装置スーパーカミオカンデを持つ東京大宇宙線研究所が含まれる。
KEK の素粒子実験は小林誠さんと益川敏英さんの理論を実証し、2 人の 2008 年のノーベル物理学賞受賞を後押しし、スーパーカミオカンデでの研究も 15 年の梶田隆章さんとカナダのアーサー・マクドナルドさんの同賞受賞につながるのだが、それらの装置の運転が制限されてしまう。(※マクドナルドさんは自国の観測装置を使い、太陽から飛来するニュートリノを観測し、ニュートリノに質量があることを発見。その際、鈴木洋一郎さんらによるスーパーカミオカンデの観測データも利用した)
98 年度の補正予算でも削減を埋める手当てはなされなかった。町村信孝文部相は衆院予算委員会で「景気対策という (補正予算の) 性格から、この種の経費 (施設の運転経費など経常的にかかる経費) は計上しづらいという制約があった」と答弁した。基礎研究は景気対策にならない、というわけだ。
その 2 年前の 96 年は、第 1 期の科学技術基本計画が始まった年だ。同計画は「5 年間で 17 兆円の政府研究開発投資」という目標を掲げ、そのおかげで財政改革法でも 98 年度予算案で「科学技術振興費」について前年度から 5%以内の伸びが認められ、当初予算で 4.9%増を実現した。科学技術庁 (現・文部科学省) 傘下の研究開発機関には補正予算も上積みされた。にもかかわらず、誰もが「ノーベル賞級」と認める実験がストップしてしまうのはなぜか。この頃、金回りのいい人たちもいた。研究費が総額 10 億円を超える科学技術庁系の研究プロジェクトに選ばれ、都心の一等地に事務所を構えた人がいる。別の研究者からは「プロジェクトに選ばれると、どこで聞きつけたのか、外資系企業での勤務経験がある秘書を高給で雇わないかと電話が来た」と聞いた。一部の業界の景気対策にはなっていたようだ。
一方で、大学の教育・研究を巡る状況は悪化しつつあった。ある国立大助教授は、上司である教授が研究費を獲得するための仕事で忙しすぎると、苦言を呈していた。この状況に拍車を掛けたのが国立大の法人化だ。
発端は 96 年 11 月に発足した第 2 次橋本龍太郎内閣の行政改革だった。政府の行政改革会議で国立大の法人化や民営化が世論喚起の道具に使われ、一時は議論が盛り上がる。同会議の最終報告は法人化について「大学の自主性を尊重しつつ、研究・教育の質的向上を図るという長期的視野に立った検討を行うべきである」と先延ばししたものの「国家公務員を 10 年間で 10%削減する」との方針が盛り込まれ、これが議論の再燃につながっていく。
後継の小渕恵三首相が削減割合を 20%につり上げたため、郵政関係以外で 11 万人の削減が必要となり、教職員約 12 万 5 千人を擁する国立大が標的となった。01 年に「聖域なき構造改革」を掲げて登場した小泉純一郎首相は、国立大の民営化を主張。元文部官僚の遠山敦子文科相が「大胆な再編統合」「民間的発想の経営手法の導入」「第三者評価による競争原理の導入」を三本柱とする通称・遠山プランをまとめ、法人化の方向が定まる。
03 年に国立大学法人法が成立した際、参議院では、経営の基盤となる国からの運営費交付金について「従来以上に教育研究が確実に実施されるのに必要な所要額を確保するよう努めること」という付帯決議がなされた。しかし、政府はこれを無視する形で同交付金の毎年 1%削減を始め、国立大は財政難と教育・研究環境の悪化に陥っていく。
この 20 年余りの大学政策は、国の懐具合と政治家を含め政策を決める人たちの思い込みや思い付きに振り回されてきたと言っていい。税金を大切に使い、かつ大学のパワーを増す別の道はあったはずだ。
日本の「研究力低下」が指摘されるようになり、政府は最近になってようやく対策に乗り出した。10 兆円の大学ファンドの運用益で、数校を「世界と伍する大学」に育てるという計画も進む。しかし、効果が疑わしい「選択と集中」路線から脱却できていないため、全体の底上げにつながらず、さらなる低下を招く可能性が高まっているように思う。
大学の存在意義とは何か、大学が持つ潜在的な力を社会全体に生かすために何が必要なのか、読者の皆さんと一緒に考えたい。
本書は共同通信社が 19 年 5 月〜21 年 3 月に加盟新聞社に配信した連載企画「日本の知、どこへ」に加筆したもので、全体の企画立案と取材執筆には、黒田隆太 (社会部、現・名古屋支社編集部、第 5 章を担当)、名古谷隆彦 (社会部、現・ニュースセンター)、山田博 (編集委員室、現・フリージャーナリスト) と私の 4 人が当たった。連載企画では、ここに収録したもののほか「大学の再編統合」 (黒田が担当) 「大学と知的財産」「個別最適化学習」 (名古谷が担当)、さらに山口裕之徳島大教授と榊裕之東京大名誉教授のインタビュー記事を配信したが、書籍化に当たり割愛した。
第 1 章〜第 18 章の本編では登場する人物は全て敬称略とし、肩書は取材当時のものとした。連載企画を進めるに当たっては登場人物を含め、多くの方にご協力いただいた。ここで改めてお礼を申し上げる。
共同通信社編集委員室編集委員兼論説委員 辻村達哉
あとがき
どうみても間違っている政策なのに変えられないのはなぜか。
地震予知が実現していないにもかかわらず、「東海地震」を予知し警戒宣言を出すという仕組みがかつて日本には存在した。予知の実用化を目標とする「地震予知計画」という国の支援を受けた研究プロジェクトが 1965 年に始まり、目標達成が困難と分かってからも観測網の維持・整備を主として続けられた。95 年 1 月の阪神・淡路大震災を機に予知の実態が広く知られるようになり、厳しい批判を浴びる中、ようやく計画の見直しが図られる。
この動きを取材していて、当時、東京大地震研究所の所長だった地震学者の深尾良夫さんに冒頭の問いをぶつけたところ、「イナーシャ (慣性) が大きかったんですね」という答えが返ってきた。重い物体が動いているのを止めるには大きな力が要る、ということだ。関係省庁も関係者も多く、多額の税金も投入してきた。政策やプロジェクトを進めた側にしてみれば、失敗を認めることで、責任を取りたくない、他の政策にも悪影響が出そう、職を失う人もいる、だからやめられない、となる。
2011 年 3 月の東日本大震災で改めて地震予知がやり玉に挙がり、17 年 9 月、政府は「東海地震」の予知体制をやめた。78 年に予知体制の根拠となる大規模地震対策特別措置法 (大震法) ができてから約 40 年ぶりの方針転換で、その年月の長さは、いったん始まった政策を止めることがこの国ではいかに難しいかを物語る。しかも大震法は廃止されなかった。
納税者としては、うまくいかないのであれば、責任は問わないから一刻も早くやめてもらいたい。最初から十分に考えを練って、途中で後戻りするなり修正するなりできるような手だてを用意した上で始めるならば、それに越したことはない。今回、科学技術や大学に関する政策を改めて取材してみて、あの時と同じ脱力感にとらわれている。科学技術政策は日本の研究力を伸ばすことができず、大学政策は大学を魅力あるものにできなかった。若い人たちが希望を持てない現状は、失敗以外の何ものでもない。それでも止まらない。
どうすれば変えることができるのか。今の政策が続く期間は、科学技術イノベーション基本計画など法的な枠組みもあるので、地震予知体制の寿命より短くなることはないだろう。本書で描いた財務省のレガシーも霞が関全体のカルチャーもそう簡単には変わるまい。政権が変わったところで、多くの政治家は「票にならない」問題なのでそもそも関心がなく、変革は望めそうにない。ならば「票になる」問題にすればいい。大学を社会に開かれた場所にし、関わってくれる外部の人を増やす。そんな動きが各地で芽生え始めていることを本編の幾つかの章で感じていただけるのではないかと思う。
「おかしい」と当事者が声を上げ続けることも大事だ。地震を予知できるという「神話」を突き崩すことができたのは、地震学者であるロバート・ゲラーさんや島村英紀さんたちが孤立を恐れず、粘り強く批判し続けたおかげでもある。
最近、文部科学省傘下の研究開発法人のトップが「運営費交付金の削減は遠い昔に決まったことで今更どうしようもない」などと話すのを聞いた。彼は元国立大学長で、国会決議を無視して交付金が削減されたことも、それが引き起こした大学の窮状もよく知っているはず。削減で窮地に陥った若手の基礎研究をその法人が支援する事業を PR する中での発言だったが、事業で救われる若手は一握りにすぎない。
ゲラーさんは「日本の科学者は『立場』によって発言する。だが、科学者は科学に基づいて発言すべきだ」と常々話していた。立場によって言うことが変わるような学者が生き残れるのは、閉ざされた場所だからだ。大学を社会に開けば、そのような人の居場所はなくなる。今回の取材で大学関係者の中には文科省などへの気兼ねから、匿名ならば応じるという人もいた。当事者が正々堂々と声を上げられるような社会にしなければならない。
連載企画を始めた当初から日本評論社の佐藤大器さんには一貫して励ましていただき、取材を続ける原動力になった。お礼を申し上げたい。
2022 年 4 月
「日本の知、どこへ」取材班を代表して 辻村達哉
目次
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- まえがき—国の懐具合と思い付きに振り回された20余年
- 第1章 大学改革—漂流し続ける政策 時間も資金も減少/国際的地位が低下/仕掛ける財務省/やせ細る研究/不毛な競争
- 第2章 博士人材—能力を生かせぬ社会 整数論と車/解決する力/産業側の変革必要
- 第3章 大学と評価—数値至上主義の危うさ ビジネス/一面的/政策目標?/因果関係
- 第4章 企業の研究力—失われた長期的視点 真剣となまくら/「基礎」が衰退/米国の劣化コピー/社会を変えたい
- 第5章 入試改革—英語力向上目指し模索 民間試験導入/文科相が陳謝/インタビュー・2019年12月配信/実生活で役立つ力を/テストを独自開発
- 第6章 大学と政治—無責任体制 下村の「院政」/官僚への不信感/ビジネスチャンス/責任棚上げ/大学の迷走
- 第7章 科学技術基本計画—後退続く基礎研究 ノーベル賞30人/強まる官僚支配/数値目標を導入/イノベーション
- 第8章 研究とは何か—政策が現場の力を奪う 窮地を救った着想/専門を変える/小柴の助言/偶然、偶然、偶然/半導体開発に応用も/没頭する時間が欲しい
- 第9章 大学院生は今—若者に過酷なシステム 研究にロマン/全く安心できず/縦割りで置き去り/処理プロセス透明に
- 第10章 研究不正—背景に根深い問題 何度も繰り返す/ブレーキがない/ハラスメントに似る/風通しの良い環境を
- 第11章 データ争奪戦—どう守り、どう公開するか AIで材料開発へ/こつこつ蓄積/つくる、使う/公開に課題
- 第12章 資金調達—拡大する大学間格差 喉がからから/産学連携に期待/10兆円ファンド/パッケージに不満続出
- 第13章 在野研究—大学の外に広がる学問 美しいハエ/ロシアと交流/一生分の材料/ひっそりと絶滅/心地よく、伸び伸び
- 第14章 地域との連携—大学を強くする 不利だけど豊か/農地を守る/離島の課題/日本酒学/スピード4倍に/多様性増す政策を
- 第15章 大学ガバナンス—自主性を阻む統制 学長権限を強化/独善的、恣意的/仲間の代表/共同体構築を
- 第16章 中国とどう向き合うか—日本の命運を決める国 摩擦呼んだ千人計画/研究で台頭、米国と対立/科学と民主主義/技術標準化で存在感
- 第17章 外から見た大学—孤立した存在からの変革 社長100人博士化/本当の目的は?/地域の声を聞く/最重要課題は「経営」
- 第18章 大学政策を考える—根拠に基づく立案を 傾斜配分は有効か/交付金削減が影響/因果関係はあるか/政府投資と人を増やす/分厚い中間層つくれ
書誌情報など
- 『日本の知、どこへ—どうすれば大学と科学研究の凋落を止められるか?』
- 著:共同通信社「日本の知、どこへ」取材班
- 数学教育協議会・伊藤潤一
- 紙の書籍
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予価:税込1980円(本体価格1800円)
- 発刊年月:2022年6月
- ISBN:978-4-535-78950-0
- 判型:四六版
- ページ数:280ページ
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