判例公刊について――未公刊判例に関する問題の検討から・上(指宿信)
なお、執筆者の所属等は刊行時のままで公開しています。
◆この記事は「法律時報」73巻10号(2001年9月号)に掲載されているものです。◆
「われわれの目標は、裁判所を破産させることなく、すべての判決における(判例の)継続性と(裁判の)公正さに対する公共の信頼を勝ち得るために、ひとつの道を見いだすことにある。」
ディビッド・タテル判事のエッセイ1)より
はじめに
本稿は、判決が出された後に判例集などに登載されることによって公開される「公刊判例」(公刊物登載判例とも言われる)ではないもの、すなわち、公的出版物、商用出版物を問わず公刊物を通じて公開されることのない、「未公刊判例」をめぐる問題を通して判例公刊のあり方を考察しようとするものである。
本稿では、「公刊判例」を、公刊物にその判決全文が登載される裁判例(判決・決定・命令)の意味で用いている。しかしながら、公的、私的のいずれの判例集についても判例が登載される基準についてはこれまでほとんど明らかにされていないのが実状である2)。いかなる判例が登載されるのかは、偶然的要素に左右されており、そのことが憲法で保障されている裁判の公開原則の実質化を妨げ、法的にも政治的にも、また、法実務上も法学研究上も多くの問題をはらんでいるというのが筆者の主張である。さらに、裁判所によって編集刊行されている公的判例集のように、裁判実務上重要で後の裁判実務に参考とされることが明確であるケースが選択・登載されている場合であっても、現在の方式には多くの問題点があり、とりわけ、その選定判断の適正さや妥当な選定範囲についての基準が公にされず、その収集手続も不透明であることを指摘したい。
判例も、広く法に関する情報、すなわち法情報の一種である。これを「法令情報」とならぶ一次的な法情報として「裁判情報」と呼んでおく。本稿は、これらの一次的な法情報は社会における知的公共財の一部であるという視点に立つ3)。こうした位置づけから、本稿は、かかる公共財へのアクセスを保障するシステムの必要を提言しようとする。なお、今般出された司法制度改革審議会の最終答申においても、判例情報の公開について、国民的基盤確立のための条件整備のひとつとして「司法に関する情報公開の推進」がうたわれ、「裁判所は(中略)特に判例情報については、先例的価値の乏しいものを除き、プライバシー等へ配慮しつつインターネット・ホームページ等を活用して全面的に公開し提供していくべきである」(太字筆者)と提言されたところである4)。
言うまでもなく、判例の公開を進めるにしても、それが恣意的な操作や基準でおこなわれたり、合理的な基準のもとで選択公刊されていないとすれば、法実務や法学教育研究にとってばかりでなく、法情報の利用者である市民にとっても大きな不利益が予想されよう。かかる危険を回避し、豊かな法情報環境の構築を目指す時代へと変貌を遂げるために、主として米国における判例公刊にかかわる議論を参照しつつ、われわれが克服しなければならない課題とその解決策を提示することが本稿のねらいである。
脚注
1. | ↑ | David Tatel, Some Thoughts on Unpublished Decisions, 64 The George Washington Law Review 815 (1996), at 818. |
2. | ↑ | この点を指摘した文献として、たとえば、高石義一編『法律情報検索の現状と課題』(にじゅういち出版、1985年)8頁を参照。 |
3. | ↑ | 拙稿「法情報公開システムの構築を」朝日新聞論壇2000年11月11日付け。 |
4. | ↑ | 最終答申113頁「3 司法に関する情報公開の推進」の項を参照されたい。また、電子媒体による迅速な判例公開を求める最近の動きとして、たとえば、日経連が2000年9月26日に労働事件の判決などの公開をネットで求め、同年5月8日付け日本経済新聞によれば、(旧)通産省の経済活動と司法制度に関する企業法制研究会が全判例のインターネット上の公開を求めている。従前のものとして、たとえば、辛島睦「情報化社会における判例へのアクセス」ジュリスト995号(1992年)3頁、丹羽一彦「アメリカにおける判例の迅速な開示」旬刊商事法務1452号(1997年)14頁などを参照。 |