(第58回)判例の背後にある公共事業の実相、そしてリーガル・リサーチ(鈴木敦)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
小田急線高架化事業認可取消訴訟最高裁大法廷判決
1 都市計画事業の認可の取消訴訟と事業地の周辺住民の原告適格
2 鉄道の連続立体交差化を内容とする都市計画事業の事業地の周辺住民が同事業の認可の取消訴訟の原告適格を有するとされた事例
3 鉄道の連続立体交差化に当たり付属街路を設置することを内容とする都市計画事業の事業地の周辺住民が同事業の認可の取消訴訟の原告適格を有しないとされた事例
――小田急線連続立体交差(高架化)事業認可取消訴訟最高裁大法廷判決最高裁判所平成17年12月7日大法廷判決
【判例時報1920号13頁掲載】
この判決が出された時、かつて携わった公共事業に思いを馳せた。他方で、当時携わり始めていたリーガル・リサーチの題材に用いたいと思ったのを今も覚えている。
判決の10年程前、私は高速道路の建設事業に携わっていた。とくに東北自動車道の拡幅事業(鹿沼~宇都宮間)では、事業地の用地買収、土地測量や所有者との境界立ち合い、土地収用法に基づく事業認定申請などを現地で行っていた。まさに公共事業を施工する現場のど真ん中に身を置いていた。
現地では、事業地の地権者や周辺住民の方々とも接してきた。その中で感じた1つに、既に公共事業が行われた地域で、さらに拡張していく難しさがある。そこには、過去の事業時の因縁が横たわっているからである。一例をあげれば、今の事業とはあまり関係のない何十年も昔の問題や当時の不満が蒸し返され、交渉が停滞したり暗礁に乗り上げたりする。
小田急線の高架化事業でも、おそらくは似たような問題を抱えていただろう。全くの新規事業とは違った複雑困難な背景があることは想像に難くない。人口の密集する都市部であればなおさらであろう。
拡張事業では、当初事業とは比べ物にならないくらい沿線に住宅や商業施設が群れ集った後、また新たに進めていかなければならないという命題が課されるなか、こうした過去の問題にも向き合って対処していかねばならない。
実際、施工時には、周辺住民に様々な被害が生じる可能性が予見されている。これらは事業損失という形で補償基準が予め用意されていることからも見てとれる。私も霞が関に戻って建設省(現国土交通省)に勤務していた際には、そうした基準の改訂作業にもいくばくか携わり補償の内容にも通じていた。それら基準をふまえると事業損失は、事業の施工により起業地外に生ずる工事振動・騒音に留まらず、電波障害や日照阻害、地盤変動等による損害など7類型にも及ぶ。なかには施工時だけではなく完成後も続く損害もある。そのため施工後1年以内であれば補償の請求ができ、その後も損害賠償請求の対象ともなる。
このように、公共事業では、事業地内の地権者だけではなく周辺住民にも様々な影響を及ぼす可能性がある。そうしたことを公共事業の現場や本省での基準作りなどを通して体感してきた者として、いわゆる門前払い(裁判を受けられない)がなくなっただけでもよかったと感じている。そして、小田急線高架化訴訟の判例もこうして背後から見るとまた違った側面や景色が見えるのではないだろうか。
時は進み、判決のあった翌年、現職において法情報学や法情報調査に携わるようになり、リーガル・リサーチをわかりやすく動画(DVD)にした教材を作ろうという企画が持ち上がった。その際、この判例を題材に制作したいと思い実行に移した。DVDでは、判例だけではなく、行政事件訴訟法や公害対策基本法(廃止法令)などの関連法令、コンメンタールや判例評釈といった関連文献なども採り上げている。法情報総合データベースや図書館のオンライン蔵書検索などの電子情報も加えて、法令・判例・法律文献のリサーチ方法をストーリー仕立てで解説している。このDVDは、私だけではなく法律図書館連絡会のビデオ制作委員会のメンバーがシナリオ作成など一から制作したもので、『わかりやすい法情報の調べ方(DVD)』(商事法務,2007年)として現在も刊行されている。
本判決では、法令が改正(行政事件訴訟法第9条第2項が追加)されたことが、判例変更の契機となった。法令が改正されれば「法令解説資料総覧」などでその解説記事が掲載され、判例が出れば「判例時報」などに判決文が掲載され、「判例評論」や「判例百選(別冊ジュリスト)」などに判例を評釈した記事論文が掲載される。
こうした法令・判例・法律文献のリサーチ方法につきストーリーに沿って解説することで、それぞれが相互に密接に関連することを明らかにし、複合的なリサーチの流れや方法、その重要性をわかりやすく示すことができたので、小田急線高架化訴訟はリーガル・リサーチの恰好の教材ともなった。
最後に、土地収用法第2条では、公共の利益となる事業の用に供するため、その土地を当該事業の用に供することが土地の利用上適正且つ合理的であるときは、土地の収用をすることができるとされている。そして同法第3条では、収用対象事業が列挙されている。また本判決のような都市計画事業は、都市計画法第69条において、土地収用法第3条各号の一に規定する事業に該当するものとみなされている。公共事業は、このように収用という法的な強制力を強く伴うものであるため、判決で「都市計画事業の事業地の周辺に居住する住民のうち当該事業が実施されることにより騒音、振動等による健康又は生活環境に係る著しい被害を直接的に受けるおそれのある者は、当該事業の認可の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者として、その取消訴訟における原告適格を有する」と判示され、周辺住民にも門戸が開かれた意義はとても大きい。
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1995年慶應義塾大学法学部卒。2003年政策研究大学院大学政策研究科博士前期課程修了。日本道路公団本社総務部経営企画課、建設省本省建設経済局勤務等を経て現職。元駒澤大学法科大学院非常勤講師、法律図書館連絡会幹事なども務める。著作に『法情報の調べ方入門〔第2版〕』(分担執筆、日本図書館協会、2022年)、『日本の図書館の歩み 1993-2017』(分担執筆、日本図書館協会、2021年)、「法情報とリサーチ」書斎の窓641号(有斐閣、2015年)、「視聴覚資料を活用した法情報の効果的な学習方法」書斎の窓598号(有斐閣、2010)、「高速道路の路線別の交通重要分析に関する実証的研究」中央大学大学院研究年報(中央大学、2008年)「法曹実務、研究、企業法務に資する法情報リサーチ」NBL869号(商事法務、2007年)など。