(第61回)家事調停官の経験を糧に(田中記代美)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
婚姻費用分担審判に対する抗告事件
大阪高裁平成28年3月17日決定
【判例時報2321号36頁】
1 家事調停官について
令和2年10月、家事調停官の任官がかなった。家事調停官は、弁護士としての身分をもったまま、週に1日家庭裁判所で家事調停を主宰する非常勤裁判官である。家事調停中心の弁護士業務を行ってきたので、裁判所がどのように当事者を見ているのか、好奇心を抑えきれず申し込んでみた。私が弁護士登録している茨城県では行われていない制度のため、どこの裁判所に勤務するのかわからなかったが、横浜での採用となった。
2 コロナ禍の家庭裁判所
着任してみて、気が遠くなるような事件数にまず圧倒された。折りしも、コロナ禍のまっただ中である。緊急事態宣言の影響で、調停が行われなかった期間中に、大きく増加したという。申込時には予想もできなかったことである。しかし、どれほど数が増加しても、1件の事件を、裁判官、調査官、書記官が事前に丁寧に確認し合い、調停委員と協力しあって調停を進めていくことに変わりはなかった。毎週登庁して裁判官室に入ると、机に向かって右側にある未済箱に事件記録がうず高く積み上げられており、時に雪崩が起きた。同室の裁判官も皆多くの事件記録の山に囲まれ、それぞれ山の間から顔を出すようにして話をしていた。
調停委員からの報告は、書面のやりとりで行われていた。これでどのくらい状況が伝わるのか不安だったが、思いのほかよく伝わってきた。そこには、対立点の内容や当事者の心情が事細かに記載されていた。多くの調停委員が、調停に対する使命感が高く、勉強熱心なことは、短い雑談からもよくわかった。気が付くとこちらもより襟を正して調停に向き合っていた。調停室内では、すんなりと調停が成立する場合は良いとしても、感情的な対立が激しい事件では見通しがつかず不安でいっぱいになり、その場から逃げ出したくなることもある。そんな気持ちを押し隠しながら当事者に説明を行ったことも、1度や2度ではない。そうかと思えば、最初は全くまとまりそうもなかった険悪な調停が、一転和やかに成立することもあった。こうした裁判所から見える不思議な現象は、裁判所に伝わっていない事実が関係しているのかもしれず、それを知ることができるのが当事者の代理人たる弁護士なのかもしれないと感じた。
3 裁判例について
調停官として、私が担当した調停事件には、婚姻費用を求めるものも多かった。頭書の裁判例は、「(夫婦の)別居ないし破綻について専ら又は主として責任がある配偶者の婚姻費用分担請求が認められるか否か」について判断している。このような事例では、当事者の感情的な対立が激しく、代理人の立場でも調停官の立場でも苦慮することが多い。
この裁判例だけ見れば、結論に違和感はない。当事者は、一度別居したものの再度同居しているが、抗告審では、再度の同居後の申立人(妻)に不貞が認定され、毎月の養育費相当額29万7000円のみが認められている。ここでは、申立人の生活費分5万3000円が減額されてはいるもののかなりの高額であるから、申立人の生活に大きな支障があるとも思われない。「別居ないし破綻について専ら又は主として責任がある配偶者の婚姻費用分担請求は、信義則あるいは権利濫用の見地からして、子の生活費に関わる部分(養育費)に限って認められると解するのが相当である」というこの裁判例の考え方が実務の主流である。しかし、この婚姻費用の減額は、不貞を行った当事者への制裁的意味合いがあるようにも解釈でき、慰謝料の前払い的性質があるのではないかと、執務中にふと気づいた。多数の事件を一気に検討する中で、異なる事件との理論の関連や比較が無意識に生じたようだった。
この裁判例の考え方によれば、収入が少ない方の当事者(実際には妻が多いが、夫の場合もないわけではない)が不貞をした場合、夫婦間に子がなければ、他方当事者に多額の収入があっても婚姻費用が全く認められないことも十分考えられる。この裁判例の当事者の収入を用いて夫婦に子がないと仮定し、現在使用されている改訂標準算定方式・算定表の「(表10)夫婦のみの表」で検討してみると、婚姻費用は月額18万円~20万円・年間216~240万円の範囲となると予想される。この金額が全く認められないとすると、夫婦に子がない場合の影響は顕著である。これに対し、収入が多い方の夫が不貞をして別居に至った場合は、婚姻費用を増額すると考える場面はほとんどない(住居費に関しては、大阪高裁決定平成21年9月25日(平成21年(ラ)第712号)があるが、実務の主流であるとまではいえないというのが私の肌感覚である)。その上で、婚姻費用と慰謝料との関係を見れば、婚姻費用の問題と慰謝料の問題は区別され、原則として両者は互いに影響していない。現在の調停の申立て状況は、妻が夫に婚姻費用を請求する場合がほとんどであるから、妻が不貞をした場合だけが婚姻費用の減額または貰えないという制裁を受け、その上、慰謝料も支払うというダブルパンチの状態となる。これは、場合によってはやりすぎではないのか。婚姻費用の減額あるいはその否認が、不貞をした妻に対する制裁あるいは慰謝料の前払い的な意味を持つとするなら、その事実を慰謝料の減額に反映することはできないものだろうか。婚姻費用審判の場では難しいとしても、離婚調停や訴訟の場面で代理人として何か主張できないものか。横浜からの帰りの常磐線の中で、つらつら考えていた。
4 終わりに
2年の任官を終えた時、コロナ禍はようやく落ち着く兆しを見せ始めていた。コロナ禍中の調停官という、大きな山を越えたような、やり切った思いだった。家事調停官当時を思い返す時、悩み多き週1日の中で、行き詰った思考が裁判官との意見交換で突破口を得た時の爽快感や、頼りにしていた書記官がいない時の心細さ、苦心して長文の起案をした「調停に代わる審判」が確定して感無量だったことなどが次々と浮かんでくる。できれば、当事者の話を直接聞く時間をもっと長く取りたかったというのが反省点である。
家事調停官の制度は、本来、弁護士の常勤裁判官任官につながる制度であるけれども、任官に至らないまでも、弁護士が多少なりとも裁判所の力となり、また、多方面から調停手続きを理解する機会が弁護士に与えられ、裁判所と弁護士との意見交換により相互理解ができる側面もあるという大変良い制度である。現状よりももっと広い地域で行われれば、人材発掘にも資する。検討の余地はありそうだ。
◇この記事に関するご意見・ご感想をぜひ、web-nippyo-contact■nippyo.co.jp(■を@に変更してください)までお寄せください。
「私の心に残る裁判例」をすべて見る
1965年生まれ。國學院大學大学院法学研究科博士課程前期修了。
社会人経験、法政大学大学院法務研究科法務専攻修了を経て2010年弁護士登録(新63期・茨城県弁護士会)。家事事件を中心とした弁護士活動を行っている。