(第57回)買収防衛策と実証研究(野澤大和)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2023.08.24
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。気鋭の弁護士7名が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

井上光太郎「買収防衛策の効果に関する実証研究からの示唆」

ジュリスト1582号(2023年)44頁より

2023年6月8日、経済産業省の「公正な買収の在り方に関する研究会」は、日本の経済社会において共有されるべきM&Aに関する公正なルールとして、「企業買収における行動指針(案)」(以下「企業買収指針」という)を公表し、同年8月6日までパブリックコメントの手続に付されていた。その背景としては、近時、日本においても、当初の買収提案を契機として第三者から新たに対抗提案がされたり、いわゆるアクティビストだけでなく、事業会社や金融機関等による対象会社の経営陣の同意を得ずに行われる買収(同意なき買収)も散見されるようになっていることや、買収への対応方針(買収防衛策)に基づく対抗措置の発動やその差止めを巡って実際に紛争に発展し、それらに関する一連の司法判断も出ていること等が指摘できる。

ジュリスト1582号 定価 1,760円(本体 1,600円)

また、買収防衛策については、近時、機関投資家からの賛同が得られないこと等を理由として平時に導入する事前警告型を廃止する上場会社が増加し、事前警告型を導入している企業は減少傾向にある一方で、市場での買増し等により一定の割合を取得された時点で株主意思確認総会での承認を前提に有事導入型を導入する事例が見られるようになっている。

企業買収指針が策定されれば、そのルールに従って、日本においても同意なき買収やそれに対応するための買収防衛策に基づく対抗措置の発動の当否の判断が行われるようになり、今後、日本のM&A市場において新たな実務が定着していく可能性がある。このような状況において、買収防衛策の効果について実証研究に照らして改めて考えてみることは、同意なき買収と買収防衛策に関する最適な制度設計や健全な実務の定着にとって重要であると考えられる。

本稿は、これまでの買収防衛策導入の効果に関する実証研究結果を概観し、買収防衛策の持つ全体的影響を整理し、日本の制度設計への示唆を考察するものである。

第一に、本稿は、買収防衛策の導入の経済的効果の理論的予測を紹介する。買収防衛策導入の企業価値に対するポジティブな効果については、交渉力仮説とキャリア・コンサーン緩和仮説がある。交渉力仮説とは、活発なM&A市場の中で、小口に分散保有しているために結託して買手と交渉することが困難な株主に代わり、経営者が買収防衛策の持つ交渉力を行使して適切な買収条件を獲得する手段としての効果を有するとする。キャリア・コンサーン緩和仮説とは、買収防衛策を導入することで、被買収リスクにさらされる経営者の不安を緩和し、経営者がより効率的で長期的な投資戦略を採用しやすくなるという効果を有するとする。他方で、買収防衛策導入の企業価値に対するネガティブな効果については、エントレンチメント仮説がある。エントレンチメント仮説とは、最終的には株主がコスト負担することになる非効率的な経営状態の企業を、買収という市場メカニズムの中で是正しようという試みを、非効率的な経営を行う経営者自身が阻害する手段として使用されるという予測である。

第二に、本稿は、買収防衛策のうち、ポインズンピルの発動トリガーとなる一定の基準値以上の株式(ブロック株式)の事前取得を買手がなぜ行うのかを紹介する。理論的には、ブロック株式の事前保有者は残る株式に相対的に高い価格をつける余裕を持つため、ブロック株式を事前保有しない競合する入札者は勝者の呪い(オークションでの過剰支払い)のリスクを避けるため、保守的に入札する結果として、ブロック株式の事前保有者はより積極的な入札が可能になり、オークションに勝つことができ、しかも自身の過剰支払いリスクを回避することできる。しかし、実際には、米国では、M&Aの9割で事前保有率はゼロ、1割で平均20%の事前保有率に分離しており、敵対的買収では約半数で事前のブロック株式保有があることを示している実証研究がある。このことは、買収者が買収による価値創造は大きいが被買収企業の経営陣の強い抵抗を予測する場合に、リスク(失敗時の損失)をとって事前にブロック株式を取得するものと解釈できるとする。日本では、敵対的買収者が経営者の承認なくブロック株式を取得すること自体を信頼性の低い買手の特徴的行動として批判することが多いが、経営者が買収に強く反対しているからこそ買手が事前にブロック株式の取得を行うという双方向の関係も存在することは、ポイズンピルの発動トリガーの意味を理解する上で重要であると指摘する。

第三に、本稿は、買収防衛策の買収に対する防衛効果を検証する実証研究によれば、防衛策は全体として潜在的な買収を阻害する効果を持ち、エントレンチメント仮説と整合的である一方で、ポイズンピルについては米国では有事に短期で導入可能なため、それ自体では買収阻害効果は観測されないとする。支配プレミアムを引き上げる効果についても分析結果が一定しておらず、経営者の交渉力仮説が支持されると結論づけることは難しいとも指摘する。

第四に、買収防衛策導入の株主価値に対する効果の実証研究によれば、ポイズンピル導入に対する株価反応には交渉力仮説のほか、近い将来の買収発生のシグナル効果(株価に正)と買収の不成立可能性の上昇(エントレンチメント仮説の下で株価に負)の両方の効果が存在する。一方で、導入企業のガバナンス状態が重要であることを報告する実証研究もあり、これは、導入企業の独立性が高い場合は交渉力仮説が支持されるが、その他ではエントレンチメント仮説が支持されることを示し、買収防衛策の株価への効果は取締役会の独立性に依存すると解釈できる。また、最近の研究では、株式市場のショック時にポイズンピルの導入企業が増加する傾向に着目するものがあるところ、株式市場ショック時の買収防衛策が株主価値に正の効果を持つかの結論付けは難しいが、防衛策導入が株式市場の状態によっては、例えば割安な株価での買収提案に対して経営者に交渉力を付与する交渉力仮説を通じて株主価値に貢献する可能性は留意すべきであるとする。

第五に、買収防衛策導入後の長期の株価や財務パフォーマンスに対する効果の実証研究によれば、平均するとエントレンチメント仮説の予測する効果が、交渉力仮説を上回っているようだが、導入企業のガバナンス状態、産業の競争度合いやイノベーションの必要性などに経済的効果は依存しており、状況によってはキャリア・コンサーン緩和仮説の予測する正の効果がエントレンチメント仮説の効果を打ち消すこともあることを示している。

最後に、以上の実証研究の蓄積によれば、買収防衛策による強固な経営陣の保護は買収の可能性を引き下げ、ガバナンスの悪化を招くことで、株価や業績に負の影響を持つことが示唆されており、平時の強固な買収防衛策導入は一般に望ましいとは言えないとする一方で、米国ではポイズンピルは買収完了の確率を引き下げず、特定の環境下では支配プレミアムの増大につながるという分析結果もあるから、交渉力仮説にも一定の根拠があるとする。もっとも、米国のポイズンピルと日本の事前警告型防衛策では、機能は似ているが、導入の目的や発動環境は大きく異なる点に注意を要する。米国では、ポイズンピルが実際に発動されたことはなく、導入企業の経営者がより良い条件を引き出すための交渉手段として用いられてきたが、日本ではポイズンピルは発動による買収の試みの防止が実質的な目的となっている可能性が高く、もしそうであれば、株主の支持を得られないことを実証研究結果は示しているとする。また、買手による事前の市場内取引でのブロック株式取得は、買収側によるリスクをとった戦略的な行動であり、そのこと自体を不適切な行動と位置づけるべきでないとも指摘する。そして、導入企業のガバナンスの状況等の特定の状況によって株価や業績への影響は変わりうることから、1つの単一ルールで最適な結果を得ることはほぼ不可能であり、これまでの実証研究も参考にしながら個別企業による工夫の余地を与えることも考えられるとする。さらに、世界の動向から乖離した買収防衛策の制度設計をすることは機関投資家の理解を得られないため、欧米の制度との一貫性も意識する必要性を説く。

本稿は、必ずしも実証研究に精通していない筆者のような企業法務の実務家が買収防衛策の効果に関する実証研究について「つまみ食い」でなく、全体像を見渡すことができる良質なレビュー論文である1)。日本におけるウルフパック戦術も組み合わせた形での必ずしも支配権の取得を目的とはしない市場買い増しを行う買手と対象会社との近時の攻防等に鑑みると、具体的な状況によっては、本稿の平時に導入される事前警告型買収防衛策に対する評価や事前の市場内取引でのブロック株式の取得に対する評価等については、異論もあり得ると思われる。しかし、それ自体が重要ではなく、「買収防衛策」と一括りでその是非を抽象的に論じるのではなく、実証研究を踏まえて、ガバナンスの状況や株式市場の状況等の導入企業が置かれている具体的な状況の下で買収防衛策の効果について冷静に論じることの重要性を指摘する点に本稿の意義がある。実証研究を参考にしながら、企業買収指針の下で、日本において企業価値を向上させる買収を実現し、企業価値を毀損する買収を防止する公正なM&Aのルールが定着することを期待したい。

本論考を読むには
ジュリスト1582号

 


◇この記事に関するご意見・ご感想をぜひ、web-nippyo-contact■nippyo.co.jp(■を@に変更してください)までお寄せください。


この連載をすべて見る

脚注   [ + ]

1. 本稿に対するコメントとして位置づけられる、松中学「買収防衛策の効果に関する実証研究とどう付き合うか」ジュリスト1582号(2023年)51頁。

野澤大和(のざわ・やまと)
2004年東京大学法学部卒業。06年東京大学法科大学院修了。07年弁護士登録。08年西村あさひ法律事務所入所。14年Northwestern University School of Law卒業(LL.M.)。14年~15年Sidley Austin LLP(シカゴオフィス)で研修。15年ニューヨーク州弁護士登録。15年〜17年法務省民事局に出向(会社法担当)。19年西村あさひ法律事務所パートナー。主な書籍・論文として、「<座談会>株主アクティビズムと2023年6月の株主総会の振り返り」MARR347号(共著、2023年)、「自己株式の取得・処分の事例分析――2022年6月~2023年5月」資料版商事法務472号(共著、2023年)、「株主総会の運営・事務に関するQ&A――株主総会資料の電子提供制度を中心に」ビジネス法務23巻6号(2023年)、『デジタル株主総会の法的論点と実務』(共著、商事法務、2023年)、「電子提供制度における会社側の主張のみを記載した書面の追加提供の可否」旬刊商事法務2313号(2022年)、「補償契約における適正性確保措置の事例分析――2021年10月~2022年9月」資料版商事法464号(共著、2022年)、「株式需要緩衝信託の仕組みと法的論点」旬刊商事法務2302号(共著、2022年)、『論点体系金融商品取引法1〔第2版〕』(共著、第一法規、2022年)、「株主総会資料の電子提供制度の概要と実務対応」Disclosure&IR誌vol.22(2022年)、『新しい持株会設立・運営の実務〔第2版〕』(共著、商事法務、2022年)、『実務問答会社法』(共著、商事法務、2022年)、「ハイブリッド出席型バーチャル株主総会の招集決定事項」旬刊商事法務2281号(2021年)、『令和元年改正会社法(3)』別冊商事法務461号(共著、2021年)、『令和元年会社法改正と実務対応』(共著、商事法務、2021年)、『Before/After会社法改正』(共著、弘文堂、2021年)、『令和元年改正会社法②』別冊商事法務454号(共著、2020年)、『M&A法大全〔上〕〔下〕』(共著、商事法務、2019年)、「武田薬品によるシャイアー買収の解説〔I〕〜〔VI〕」旬刊商事法務2199号~2204号(共著、2019年)ほか多数。