ロシアによるウクライナ侵攻に対する国際刑事法のアプローチ――誰により、どのように研究されているのか(越智萌)(特集:戦争犯罪に立ち向かう)
◆この記事は「法学セミナー」825号(2023年10月号)に掲載されているものです。◆
特集:戦争犯罪に立ち向かう
戦争犯罪を「緊急事態」の犯罪と見るアプローチでひも解きながら、そこに立ち向かう法の姿をリアルタイムに描き出す。
――編集部
1 はじめに
2019年に行ったある国際学会での報告の冒頭で、国際刑事法の研究者が総じて直面したことのある状況を、イソップ寓話『卑怯な蝙こうもり蝠』のメタファーを用いて語ったところ、聴衆から共感の笑みがこぼれた。国際法の学会で国際刑事法の話をすればそれは刑事法の話だといわれ、刑法の学会に行けば国際法の話をしていると捉えられるのである。近年多くのグローバルイシュー(例えば、経済、環境、人権等)について、国内法と国際法の双方が同一事項を規律する場面は珍しくなくなった。他方で、法学における国際法と国内法が交錯する分野の講学上の位置づけは安定しない。
この状況は国際的な刑事法の発展にもいえる。国際社会は、2度の世界大戦、そしてその後の冷戦中および冷戦後の武力紛争や大規模な人権侵害の状況に直面し、一定の最も重大な犯罪について共通の犯罪定義を共有し、国際協力を確保することに尽力してきた。こうして選定された、ジェノサイド、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪といった「中核犯罪(core crimes)」に対し、国際社会により不処罰を防止しようとする動きは、90年代以降活発化した。その試金石となったのが、2002年にオランダ・ハーグに設置された国際刑事裁判所(以下、ICC)である。しかし、この国際機構に加盟するのは国際連合(以下、国連)全加盟国の6割程度にとどまり、また国連安全保障理事会常任理事国のうち米国、ロシア、中国が加盟していないため、ICCを必ずしも普遍的な制度とは呼べない状況が続いている。日本は、国内法整備を行った後に、諸国に遅れて2007年にICC規程に加入した。しかし、現代の日本で中核犯罪が行われるということが現実味に欠けることや、過去の東京裁判やいわゆるBC級裁判がデリケートな話題とされた過去もあり、国際刑事法と日本の刑法の間には一定の距離感が保たれ続けてきたように思われる。
しかし、過去2年間で、この距離感は大きく狭まった。ロシアによるウクライナ侵攻が世界的な関心を集め、この戦争を背景に、数多くの戦争犯罪が行われていることが連日報道された。また、これらに対する国際的な捜査の試みや、ICCによる逮捕状発付と、逮捕状発付に携わった日本人裁判官に対するロシアによる刑事手続開始についての報道の活発化を通じて、国際刑事法の知見と、日本で同様の事態が発生した場合の法適用の問題の分析の必要性が広く認知されるようになった。一方、戦争犯罪概念とそれに対する国際的な制度の研究は、誰によって担われており、どのようにアプローチされているのかについては、まだはっきりとしたイメージを持てない人も多いかもしれない。ロシアによるウクライナ侵攻をうけてこの分野に関心を持っているものの、どこから手を付けて学んでいけばよいかがわからないという声もあろう。
そこで本稿では、戦争犯罪に対する法学者の諸アプローチを振り返った上で、今後の学び方、関わり方について考えたい。以下ではまず、大学の講義科目の中での国際刑事法の位置づけと、国際刑事法の各分野の概要について説明した後(2)、ロシア・ウクライナ紛争下での戦争犯罪を事例として具体的な研究方法と資料について説明する(3)。最後に、本特集の趣旨と構成について紹介する(4)。