(第66回)民事訴訟における刑事訴訟関係書類の「法律関係文書」該当性を介した提出義務肯定の合理性(八田卓也)
【判例時報社提供】
(毎月1回掲載予定)
刑事訴訟関係書類提出命令判決
1 捜索差押許可状及び捜索差押令状請求書が民訴法220条3号所定のいわゆる法律関係文書に当たるとされた事例
2 民訴法220条3号所定のいわゆる法律関係文書に該当することを理由としてされた捜索差押許可状の文書提出命令の申立てに対して刑訴法47条に基づきその提出を拒否した所持者の判断が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとされた事例
3 民訴法220条3号所定のいわゆる法律関係文書に該当することを理由としてされた捜索差押令状請求書の文書提出命令の申立てに対して刑訴法47条に基づきその提出を拒否した所持者の判断が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとはいえないとされた事例最高裁判所平成17年7月22日第二小法廷決定
判例時報1908号131頁掲載
民事訴訟における文書提出義務の範囲を規定する民訴法220条は、その4号ホにおいて、一般文書の開示義務の除外事由として刑事訴訟関係書類該当性を挙げる。この除外事由はカテゴリカルなものであり、例外の余地がない(そのためインカメラも除外される。同223条6項)。しかし、刑事訴訟関係書類に該当しても、事案解明に必要な文書もある。そこで、最高裁は以下のような枠組みで、一定の限度で文書提出義務を認めた。即ち、刑訴法47条にいう「訴訟に関する文書」(刑事訴訟関係書類と同義と理解してよい)の公開可能性については、文書の保管者が裁量権限を有している。しかし、これに該当する文書が、民訴法220条3号後半にいう法律関係文書に該当すれば、民事訴訟において当該文書を取り調べる必要性・その程度、当該文書の開示による弊害等の諸般の事情に照らして、開示を否定した保管者の判断が裁量権の範囲の逸脱・濫用だと評価できる限度で、文書提出義務が認められる(最決平成16年5月25日民集58巻5号1135頁。以下「平成16年決定」)。この枠組みにしたがって初めて実際に刑事訴訟関係書類の提出義務を認めた最高裁決定が、本決定である(なお、最決平成31年1月22日民集73巻1号39頁はこの枠組みを1号の引用文書に拡大した)。
基本事件は、原告が、警視庁所属の警察官が行った捜索差押えが違法であることを理由に、東京都を被告として提起した国家賠償請求訴訟である。この訴訟の中で、原告が、被告東京都が保持する上記捜索差押えにかかる捜索差押許可状及び捜索差押令状請求書(以下「本件各文書」)の文書提出命令の申立をした。最高裁は本決定において、本件各文書は双方ともに刑事訴訟関係書類に当たるとして上記枠組みに従ったうえ、双方ともに法律関係文書に該当し、且つそのうち東京都による捜索差押許可状不開示の判断には裁量権が逸脱・濫用があるが、差押令状請求書不開示の判断に裁量権の逸脱・濫用はないとして、捜索差押許可状の限度で文書の提出を命令ずるべきだとした。
私は、本決定に対する評釈において、この枠組みを批判した(「私法判例リマークス」33号142頁以下)。4号ホが刑事訴訟関係書類をカテゴリカルに4号に基づく文書提出義務の対象から除外している趣旨(刑事訴訟関係書類の開示による弊害発生の虞れ等について、文書提出命令の申立てを受けた裁判官が相当な判断をすることが難しいこと等)は、対象文書が法律関係文書である場合にも妥当するが、にもかかわらず法律関係文書に限っては一定限度で開示義務が認められる理由が「法律関係文書には、申立人の観念的な支配権が及ぶからであるとすれば、刑事訴訟関連文書の開示を正当化するのは、申立人の利益ということになる。……しかし、『申立人の観念的な支配権』が、〔平成16年決定〕が定式化した形での、刑訴47条にいう「訴訟に関する書類」の公開相当性についての保管者の判断への裁判所の介入を基礎づける根拠は、詳らかでない」。刑事訴訟関係書類の開示を模索するのであれば「文書提出命令自体の法改正〔等〕という正攻法でいくべきではあるまいか」というのがその内容である(前掲拙稿145頁)。
このように最高裁の枠組みを批判する私見は、単独説にとどまる(安永祐司「私法判例リマークス」63号122頁以下)。そのような中、岡成玄太「民商法雑誌」157巻4号732頁以下がこれを詳細に取り上げ、「確かに、1号ないし3号該当性が認められる限りでしか裁量権の逸脱・濫用を審理してはならない理由はやや不透明であ」るとして一定の理解を示しつつ、「機動的な法改正を期待できない実情のもと、3号後段等の明文規定を手掛かりに、……申立人の主観的利益(証拠の必要性)を基礎に保管者……の裁量判断に風穴を開ける経路を捻出した最高裁の法律構成にも、相応の評価が与えられてよい」との指摘を向けて下さっている(同746頁注31)。
この指摘を拝読し、まず気がついたのは上記私見に舌足らずで趣旨不分明な点があったことである。
上記私見で私が問題としたかったのは、申立人の利益が、平成16年決定が定式化した形で、裁判所の介入権限を基礎づける根拠であった。そこで言いたかったのは、実は、平成16年決定の枠組みでは、開示義務肯定に働く要素が「文書を取り調べる必要性」として裁判所の視点(つまり公的視点)から語られ、公的利益が開示を基礎づける形になっているが、それは法律関係文書の根拠とされる申立人の利益とはずれているのではないか、そこに最高裁の枠組みの無理があるのではないか、ということであった。
この点、岡成准教授は、「文書を取り調べる必要性」を「証拠の必要性」として申立人の主観的利益に位置づけた上で行論されている。確かに、「文書を取り調べる必要性」は相当程度申立人の立証の必要性という主観的利益に重なる。しかし、「文書を取り調べる必要性」は飽くまで裁判所の視点、裁判所の利益であり、申立人の利益と一致はしないのではないか、というのが、私見の出発点であった。
しかし、拙稿の記述を今振返ると、このような視点に着目することの指摘としては余りに叙述が舌足らずであった。また「文書を取り調べる必要性」は裁判所の視点・利益であり、申立人の利益との間にずれがあるとする理解自体、もしかしたら読み込みが過ぎるのかもしれない。岡成准教授の指摘の拝読を通じ、現在、そのような反省や気付きとともに、本決定は私の心に残っている。
岡成・前掲評釈は、最高裁は自覚的に限定的に刑事訴訟関係書類の法律文書該当性を認めているというその理解から一貫させ、その最後で、4号ホの立法論としての再検討が望ましいとする最決令2年3月24日判例時報2474号46頁における宇賀克也裁判官の補足意見を、その警告を、我々は真剣に受け止めなければならない、と評価される。私見とは異なるアプローチということになるが、そのようなアプローチからも4号ホの立法論としての再検討の必要性が基礎づけられる、ということも、なるほどと感じられた。研究者というものは、真に学びの連続である。
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1972年東京都三鷹市生まれ。九州大学助教授、神戸大学准教授を経て現職。著書に、『民事執行・民事保全法〔第2版〕』(共著・有斐閣、2021年)、『事例で考える民事訴訟法』(共著・有斐閣、2021年)、『ブリッジブック法学入門〔第3版〕』(共著・信山社、2022年)などがある。