(第3回)曲解された格言? Et in Arcadiā ego/アルカディアにも私は
Et in Arcadiā ego
エト イン アルカディアー エゴー
(アルカディアにも私は)
はじめに
東京にお住まいの方ならば, 「アルカディア」と言えば, 市ヶ谷にある「アルカディア市ヶ谷」という私学会館の施設が思い出されるかもしれません. 漫画やテレビアニメに詳しい方ならば, 松本零士の『宇宙海賊キャプテンハーロック』の主人公で, その他の作品にも登場するヒーローであるハーロック船長が乗っている宇宙戦艦の名前が「アルカディア号」だったと思い出されるかもしれません. そもそも, アルカディアとは, ギリシア南部ペロポネソス半島の内陸部に実在する地方のことでしたが,西洋文学の歴史の中では, 古代ローマの詩人ウェルギリウスが『牧歌詩集 Bucolica (あるいは Eclogae)』の舞台をアルカディアに設定して以来, 音楽と恋に生きる純朴な牧夫たちの住む, 理想化された土地を表すようになりました.
文法解説
それでは, そろそろ本題に入りましょう. 表題に掲げた文句 et in Arcadiā ego の et は接続詞ではなく, 副詞の et で, 英語なら too や also, フランス語なら aussi, ドイツ語ならauch で訳せそうな語です. in は英語とドイツ語の in, フランス語なら en や à にあたる, 場所を表す前置詞です. Arcadiā の語尾の -ā は長い母音の -ā です. in という前置詞が, 何かが存在するか何か出来事が起こる場所を表す場合, その前置詞と共に使われる名詞は奪格形になるからです. そして, ego がこの文章の主語です. ラテン語では近代語のように主語が文章の最初に現れるとは限らず, このように最後になって現れることがあります. この文章には動詞がありません. このような場合は, 存在を表す動詞の現在形を, 主語に合わせた形で補えばよいでしょう. すなわち, 1人称単数現在の sum を補い, 文全体は「アルカディアにも私はいる」と訳します.
この格言は, 実は古代人が書いたラテン語ではありません. ルネサンス時代に描かれたある絵画の中に記されたもので, これがその絵画です: Giovanni Francesco Barbieri(通称 Guercino)のEt in Arcadia ego.
信州大学人文学部教授。専門は西洋古典学、古代ギリシャ語、ラテン語。
東京大学・青山学院大学非常勤講師。早稲田大学卒業、東京大学修士、フランス国立リモージュ大学博士。
古代ギリシア演劇、特に前5世紀の喜劇詩人アリストパネースに関心を持っています。また、ラテン語の文学言語としての発生と発展の歴史にも関心があり、ヨーロッパ文学の起源を、古代ローマを経て、ホメーロスまで遡って研究しています。著書に、『ラテン語名句小辞典:珠玉の名言名句で味わうラテン語の世界』(研究社、2010年)、『ギリシア喜劇全集 第1巻、第4巻、第8巻、別巻(共著)』(岩波書店、2008-11年)など。