(第7回)ことわざの由来(後編) Hinc illae lacrimae/あの涙はここから!
前回は「格言の宝庫」としてホラーティウスを取り上げました. もちろん, ラテン語の「格言の宝庫」はホラーティウスだけではありません. その他の古代ローマの作家たちもみな, 多くの格言やことわざを後世に残しました. 今回はその中でも, テレンティウス (Pūblius Terentius Āfer, 前195/185頃 ~ 159頃) に注目してみたいと思います.
テレンティウスの喜劇作品
テレンティウスは前2世紀前半にローマで活躍した喜劇詩人です. 帝政期ローマの歴史家スエートニウス (後69頃 ~ 122頃) よれば, カルタゴから連れてこられた奴隷で, 後に解放され元主人の名前, Terentius になったのだそうです. テレンティウスが作ったとされる喜劇作品は全部で6編ほど残っています. これらテレンティウスの喜劇作品は, いずれもギリシア語で書かれた原作に基づく翻案作品でしたが, キケローやホラーティウスに愛好され, 古代においてすでに学校の教材に採用され, それらに関しては注釈書も書かれていたほどでした. 近代以降も, テレンティウスの喜劇は生きたラテン語のお手本として学校で頻繁に教材に使われたため, 近代の演劇作家のみならず多くの著者に読まれ, そらの人々に影響を与えています. 沢山のラテン語の格言やことわざがテレンティウスの喜劇作品に由来するのはそのためでしょう.
Hinc illae lacrimae
ヒンク イッラエ ラクリマエ
(あの涙はここから〔これがあの涙の理由だったのか〕!)
このことわざはテレンティウスの喜劇作品『アンドロスの女 Andria』の126行目から取られたものです. ちなみに, 『アンドロスの女』の最初の200行を読んだだけでも, 有名なラテン語の格言やことわざがいくつも出てきます: 「Nē quid nimis 度を越すなかれ (Ter. Andr. 61)」; 「obsequium amīcōs, veritās odium parit 従順は友人を, 真実は憎悪を生む (ibid. 68)」; 「Dāvus sum, nōn Oedipus 私はダーウスであり, オイディプスではありません (ibid. 194)」. エラスムスは『格言集 Adagia』の中で hinc illae lacrimae はある事柄についてその理由が分からないままだったが, ついにその理由が分かったときに使われる言い回しと説明しています(Adagia 1.3.68). つまり, エラスムスの時代においては, この言い回しは「ああ, そういうわけだったのか!」とか「なるほど, それなら合点がいった」という意味で使われるものとみなされていたことが分かります. ことわざとして使われる場合, hinc illae lacrimaeは, その理由が分からなかったことなら何についてであれ, たとえそれがある特定の「涙 lacrimae」の原因ではなくても, その理由が分かった時にはいつでも使えるということになります. おそらく「涙」はこのことわざの由来となった具体的な箇所にあった言葉だったけれど, この言い回しがことわざになることで, 意味を失ってしまったのでしょう.
信州大学人文学部教授。専門は西洋古典学、古代ギリシャ語、ラテン語。
東京大学・青山学院大学非常勤講師。早稲田大学卒業、東京大学修士、フランス国立リモージュ大学博士。
古代ギリシア演劇、特に前5世紀の喜劇詩人アリストパネースに関心を持っています。また、ラテン語の文学言語としての発生と発展の歴史にも関心があり、ヨーロッパ文学の起源を、古代ローマを経て、ホメーロスまで遡って研究しています。著書に、『ラテン語名句小辞典:珠玉の名言名句で味わうラテン語の世界』(研究社、2010年)、『ギリシア喜劇全集 第1巻、第4巻、第8巻、別巻(共著)』(岩波書店、2008-11年)など。