(第74回)「ひ」で始まるか、「げ」で始まるか、それがポイント!(下山憲治)

私の心に残る裁判例| 2024.07.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

トンネルじん肺東京訴訟第一審判決

1 トンネル建設工事において粉じん作業に従事していた労働者がじん肺に罹患したことについて、国の規制権限の不行使に基づく国賠法上の責任が肯定された事例
2 国の発注したトンネル建設工事において粉じん作業に従事していた労働者の国に対する安全配慮義務違反ないし民法716条ただし書に基づく損害賠償請求が否定された事例
3 規制権限不行使によって、じん肺に罹患したこと、これが原因で合併症を併発したことないし死亡したことを理由とする国賠法上の損害賠償請求権の消滅時効の起算点

東京地方裁判所平成18年7月7日判決
判例時報1940号3頁

トンネルじん肺訴訟は、鉄道や道路のトンネル建設工事において掘削などの粉じん作業に従事し、じん肺に罹患した労働者等が元請けを含む事業主に対し安全配慮義務違反等による損害賠償を請求し、また、国の規制権限不行使等を違法として国家賠償を請求したものである。国家賠償請求では、2004(平成16)年の筑豊じん肺訴訟最高裁判決の射程や規制権限不行使がいつから違法であったか(責任成立の始期)などが大きな争点となっていた。この訴訟について、ある先輩研究者が弁護団の方に私を紹介されたようで、当時の勤務先の会議室において意見書執筆を強く依頼されたことを思い出す。

2006(平成18)年7月7日の東京地方裁判所における判決言い渡し当日、当時のゼミの学生とともに、傍聴する機会を得た。入廷前の学生向けのアドバイスとして、知り合いの弁護士から、判決の主文言い渡しで、「ひ」で始まるか、「げ」で始まるか、それが請求(一部)認容か、請求棄却かがすぐに分かるポイントである旨、知らされた。「なるほど」と思いつつ、学生全員が傍聴できるようにしていただき、判決の言い渡しを待った。そして、裁判官入廷後、裁判長は判決の主文を読み上げた。主文は、「ひ」で始まり、「被告は、……原告に対し……金員を支払え」など、原告の請求が一部認められた。

さて、学生と一緒に傍聴した東京地裁判決の後、傍聴はしなかったが、同月13日に熊本地裁、同年10月12日に仙台地裁、翌2007(平成19)年3月28日に徳島地裁、同月30日に松山地裁で、相次いで、責任成立の始期は違ってはいたものの、防じんマスクの使用、粉じん濃度測定の義務付け等の規制権限の不行使が違法と認められた。そして、2007年6月18日、当時の安倍内閣総理大臣による哀悼とお見舞いの表明等、さらに、原告側は国に対する請求を放棄し、じん肺対策の規制を行う厚生労働大臣に加え、トンネル建設工事を発注する国土交通大臣・農林水産大臣・防衛施設庁長官(当時)と原告団・弁護団との間で「トンネルじん肺防止対策に関する合意書」が交わされた。その後、全ての高裁・地裁で、原告団と国の間で和解が成立し、また、粉じん障害防止規則の改正、国土交通省発注工事に適用されるトンネル工事に関する積算基準の改訂等が行われた。これらの点で、訴訟を通じた規制強化をはじめとする各種制度の整備(「政策形成」訴訟とも称される)が進んだことを目の当たりにした。国家賠償訴訟は被害者救済という「過去の被害の補填、清算」だけではなく、より良い法制度・仕組み作りも推進する機能・側面があると実感した。なお、事業者、工事の元請け(ゼネコンなど)に対するトンネルじん肺訴訟はいまだ提起されてきており、早期の救済(基金等による補償)に向けた制度創設には至っておらず、課題はまだ残されている。


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下山憲治(しもやま・けんじ 早稲田大学教授)
1965年生まれ。福島大学講師・助教授、東海大学教授、名古屋大学教授、一橋大学教授を経て現職。著書に『ノーモア原発公害:最高裁判決と国の責任を問う』(共著、旬報社、2024年)、『気候変動に対する環境法及びエネルギー法の新展開』(共編著、元照出版、2023年)、『原発事故被害回復の法と政策』(共編著、日本評論社、2018年)、『行政法』(共著、日本評論社、2017年)など。