(第69回)刑罰論の「休戦」案から考える、企業不祥事の予防、対応(宮本聡)
(毎月中旬更新予定)
ポール・H・ロビンソン(松澤伸監訳=十河隼人訳)「刑罰論戦争の『休戦』?──経験的デザート、社会的信頼、道徳的規範の内面化」
なぜ人を処罰することが許されるのかという問題(「刑罰の正当化根拠」とも呼ばれる)について、応報刑論と目的刑論という2つの代表的な立場がある。
応報刑論とは、刑罰は、罪を犯した者の責任に応じて科すもの(応報)であり、「そのような応報の実現が正義にかなっていること自体によって正当化される」とする立場、目的刑論とは、刑罰は、「犯罪を防止するために科すものであり、犯罪を防止することによる社会全体の利益によって正当化される」とする立場である2)。現在では刑罰の正当化根拠については応報刑論、目的刑論の両主張を取り入れる考え方が多いが、両主張をどのように取り入れ、統合するかについては、見解が分かれている。
本稿は、応報刑論、目的刑論のいわば妥協点として、様々な実証研究の結果に基づき、「経験的デザート論(empirical desert)」という魅力的な見解を提示している。これは、乱暴にまとめれば、「公衆の正義観念」は野蛮で過酷なものではなく、繊細かつ応報的(刑罰は犯した罪に応じたものと考える傾向にある)であり、刑罰の運用が「公衆の正義観念」に適合している場合、刑事司法システムは最も高い犯罪予防効果を発揮するという見解である3)。
本稿は、このように刑罰の運用が犯罪予防効果につながるメカニズムについて、「公衆の正義観念」に適合する刑事司法システムは、「その道徳的信頼を通じて、より多くの敬意、協力および賛同を得ることになり、そうして、非難されるべき行動様式についての規範が、公衆により内面化される蓋然性が高まる」と論じている。言い換えれば、「公衆の正義観念」から乖離した(例えば極端に厳しい又は緩い)刑事司法システムは、信頼を失い、その結果、誰もルールを守らなくなるということである。本稿は、このように、「公衆の正義観念」から乖離した刑事司法システムの例として、1920年代のアメリカの禁酒運動を挙げ、禁酒運動の時期に犯罪率が増大したことを指摘している。
本稿が主張する経験的デザート論は、刑罰について、応報的な「公衆の正義観念」を満たすことは犯罪の予防効果の追求につながること、つまり、冒頭に紹介した応報刑論と目的刑論の要求が両立する可能性を示しており、その意味で、本稿の題名のとおり、刑罰論争の一つの「休戦」の形を示すものである4)。また、法律の世界では「雑音」として無視されることのある「公衆の正義観念」に、刑罰論における居場所を与えたという意味でも、興味深い見解である。
ここからは私見となるが、本稿は、企業不祥事の予防、対応を考える上でも、多くの示唆を与えてくれるように思われる。
例えば、経験的デザート論を企業不祥事の話にそのままスライドさせれば、「企業不祥事防止のルールが最も高い効果を発揮するのは、そのルールの内容、運用等が、企業の構成員の正義観念に適合する場合である。」という主張になるだろう。この主張は、近時の企業不祥事の対応において、不正行為を行った者への適切な措置(いわゆる信賞必罰)が説かれることがあるとおり、一定の説得力があるようにも思われる。
また、本稿は、経験的デザート論の前提となる「公衆の正義観念」は、誰もが不正と理解できる行為(傷害や窃盗など)については存在するが、不正であるかどうか意見が分かれる行為(本稿はその例として音楽の違法ダウンロードを挙げる)については存在しにくい可能性を指摘しており、この点も企業不祥事の予防の観点から参考になる。
企業の構成員が従うべきルールは多岐にわたり、一部のルールについては、構成員間にこれを守るべきという意識(公衆の正義観念)が生まれておらず、守られないことがある。幸いなことに、刑罰の適用範囲に比べれば、企業の構成員の数は限定的であり、企業は、構成員全体に対する教育等を行い、「公衆の正義観念」を育むことによって、ルールを守るよう働きかけることができる。他方で、企業は、構成員の意識(公衆の正義観念)から大きく乖離したルールは、ルール全体への信頼、不正防止効果を損なうきっかけとなり得るため、廃止や修正を検討すべきとも考えられる。
本論考を読むには
・早稲田法学96巻1号(2020年)251頁
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脚注
1. | ↑ | 本稿は、ドイツ語の論文をベースにした和訳であるが、英語版として、Robinson, Paul H., “A Truce in Criminal Law’s Distributive Principle Wars?” 23 New Crim.L.Rev.565(2020) が公表されている。 |
2. | ↑ | 佐伯仁志『刑法総論の考え方・楽しみ方』(有斐閣、2013年)1頁参照。 |
3. | ↑ | 当然のことながら、実証研究から、このような見解が導かれるのかについては、議論があり得る。 |
4. | ↑ | 本稿をはじめとするポール・H・ロビンソンの見解等を手がかりに、量刑論を論じた研究書として、十河隼人『量刑の基礎理論』(成文堂、2022年)がある。 |
2007年慶應義塾大学法学部卒業。2009年東京大学法科大学院修了。2010年弁護士登録。西村あさひ法律事務所(現西村あさひ法律事務所・外国法共同事業)で企業の危機管理案件を数多く経験後、米国留学(Boston University School of Law (LL.M. )修了)を経て、2017年~2021年に東京地検検事として経済事犯、特殊過失事犯等の捜査に従事。2021年弁護士再登録、現在西村あさひ法律事務所・外国法共同事業パートナー弁護士。主な業務分野は、企業不祥事対応、刑事事件を含む取締当局対応等の危機管理、コンプライアンスや不正防止体制の構築等。主な著書・論稿として『危機管理法大全』(共著、商事法務、2016年)、「不正競争防止法違反事件の刑事裁判における営業秘密秘匿決定制度の実務」(共著、NBL1049号(2015年5月1日号))等。また、西村あさひ法律事務所・外国法共同事業が毎月発行している危機管理ニューズレターの編集委員も務める。