「愛の裁判所」って何だろう? 家裁調査官に聞く(高島聡子)

特集/家庭裁判所ってどんなところ?| 2024.09.09
みなさんは、家庭裁判所について、どのようなイメージを持っていますか。
2024年NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主人公モデル、三淵嘉子は、家裁の創設にかかわり、女性初の裁判所長となったのも、新潟家裁でした。
社会のなかで弱い立場の人々を支援するという、一貫した理念をもつ家庭裁判所。
現在、家裁ではどんな事件を扱い、どういった手続を行うところなのでしょうか。実際にその手続にかかわるのはどのような人たちなのでしょうか。実際に家庭裁判所調査官として働く高島さんに、家庭裁判所と地方裁判所の違い、調査官の仕事について、聞きました。
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地裁と家裁

今回の特集のタイトルは「家裁ってどんなところ?」だそうです。

はて? 何とお答えすればいいでしょう。私は「家庭裁判所調査官」という職に就き、家庭裁判所という職場に長い間身を置いてきましたが、組織の中にいると、自分がいる場所というものを、客観的に正しく説明するのは意外に難しいものです。

ドラマ「虎に翼」のモデルになった裁判官三淵嘉子さんは、家裁設立当時のインタビューで「その目的は法律の擁護以上により建設的な社会的なものをもっています。いま、地方裁判所を正義の裁判所とすれば、家庭裁判所は愛の裁判所ということができませう」と語っています(「法律のひろば」1949年4月号「愛の裁判所」)。これはどういう意味でしょう?

少し補足するとすれば、地裁での審理は刑事事件でも民事事件でも、「過去の出来事」がベースです。刑事事件であれば被告人が起こした事件に対する責任として、どのような刑罰を与えるのが相当なのか。また、民事事件であれば、原告と被告の間にどのような約束(契約)があったのか。これらを審理していく上では、法や社会感情に照らして何が正義であるか、ということが焦点になります。

これに対して、家裁の審理では、もちろん法がベースではありますが、家事事件は、離婚であれ面会交流であれ、大まかに言えば、今後当事者の間にどういった人間関係を築いていくのかを考えるための手続ですし、少年事件であれば、この少年に対してどのような処遇を行えば、今後少年が更生できるのかを考え、新たな被害者を生まずに済むかを考えるための手続、という言い方ができます。少年事件も、少年が過去に起こした事件に対する処分を決める手続という側面はありますが、手続に関わる私たちは、起こした事件に見合った罰を与えるというよりも、まずは少年に対する保護、教育という理念を念頭に処分を考えます。

これが家裁の未来志向と言われる特徴であり、設立当初に、家裁が「愛の裁判所」と言われた理由の一つではないかと思います。

家裁オリジナルの存在

そしてもう一つ。地裁との大きな違いと言えるのが私たち、家裁調査官の存在です。地裁には調査官に該当する職種は存在しませんが、その理由はそれぞれの審理構造の違いにあります。

地裁の手続では、原告と被告、あるいは検察官と弁護士が、互いに自らの主張するところを裁判官に対して述べ、裁判官は中立的な立場から判断を下します。これを法律用語で「対審構造」と言います。これに対し、家裁の手続は「職権主義的審問構造」といって、裁判所が審理に必要だと考える事実関係を自ら主体的に調べる形を取ります(人事訴訟など、事件によっては、対審構造に近い手続もあります)。家裁の職権主義的な役割を具現化したのが、私たち、家裁調査官です。

家裁の裁判官は、審理に必要な事項について、調査官に「調査命令」を出し、私たちはそれに沿った調査活動を行います。

少年事件では、家裁に事件が係属すると、簡易送致事件というごく軽微な事件を除き、基本的にほぼ全ての事件で調査命令が出されます(少年が非行事実を否認している場合、調査よりも裁判官による事実認定が先行する場合があります)。調査の回数や対象は、少年が身柄を拘束されているか、つまり身柄事件か在宅事件かによって少し異なりますが、基本的には少年と保護者に対する面接が中心となります。

家事事件では、その事件が審判なのか調停なのか、あるいは事件の内容と進行により、調査命令が出されるタイミングや内容はさまざまに異なります。審判事件では、申立人調査、関係者調査、書面照会などが中心です。調停事件では、当事者双方の主張を詳しく聞く主張整理、子の監護状況調査、子の意向調査、試行的面会交流など、調査命令にもさまざまなバリエーションがあって、調査命令の目的や発令のタイミングについて、調査官は調停委員会と随時カンファレンスをしながらその内容を決めていきます。

少年事件での調査がコースメニューだとすれば、家事事件での調査はアラカルトメニューといった感じでしょうか。

調査室にて

調査官が行う具体的な調査の内容を、「未成年の子どもとの面接」に焦点を当てて、もう少し詳しく見ていきましょう。

ドラマ「虎に翼」の第14週では、離婚に際して子どもの親権を押し付け合う夫婦の話が登場しました。ドラマでは、主人公の裁判官である寅子が子どもから直接話を聞き、両親のどちらかを選ばせるのではなく、子どもが真に頼りたい相手は誰なのかを聞き出すことが、調停の解決へのターニングポイントになっていました。この当時、まだ家裁調査官の配置は少年部中心で、家事事件での調査は一般的ではなかったと思われますが、今の家庭裁判所であれば、こんな時、調査官に「子どもの意向」または「子どもの心情」についての調査命令が出されるでしょう。

年齢的には家裁に来てもらって話を聞くでしょうか。事前に子どもあてに手紙を出し、調査の冒頭にも、調査官は父母の話し合いを手伝っていて、どちらのことも知っているが中立的な立場であること、手続にあたって子どもの気持ちを尊重して考えたいと思っていること、ただし結論を子どもに決めさせるわけではないことなどを伝えて、「今日は、あなたの今の本当の気持ちを教えてほしいんだけど」と聞き始めるでしょうか。

こういった状況に置かれている子どもの話を聞く時は、繊細なガラス細工をそっと受け取るような気持ちになります。

どちらの親と暮らしたいか、自分自身の体験を踏まえて気持ちがはっきり決まっている子もいますが、なかなか口を開いてくれなかったり、逆に一方の親からこう言いなさいと言い含められていて、まるで原稿を読み上げるように話し始めたり。父母の紛争に心を痛めている子も多くいますが、仮に、子どもが「ケンカをしないで仲直りしてほしい」と言ったとしても、家裁にまで来て争っている夫婦が離婚を翻意することは滅多にありませんし、仮にそれで無理に婚姻生活を続けたとしても、もっとひどい事態になることがほとんどです。

本当にいろいろな子どもの気持ちがありますが、的確にその心情を聞き取り、その心情が形成された過程も含めて報告書に記載し、当事者にはそれを閲覧謄写してもらう形でフィードバックして、子どもに選択の責任を負わせるのではなく、父母自身で今後のことについて考えてもらうための材料を提供する(あるいは、裁判官の判断の基礎となる材料を提供する)。それが家事事件での「子の調査」です。

一方、少年事件の調査には、また別種の難しさがあります。少年との面接では、まず自分の起こした事件と、事件の中での客観的な自分の動きを事実として振り返らせるところから始め、事件に至るまでの自分自身の生活や周囲の環境、自分自身の考え方といったさまざまな要因が、どのように犯罪に結びついたのかを少年との対話で探っていきます。当然、そこには「二度と罪を犯さないためにはどうすればいいか」ということを少年自身に気付いてもらい、そのための手立てをどう取るかを考えてもらいたいという目標があります。

少年との対話という形を取るのは、自分自身で考え、気付くのでなければその後の実効性も期待できないからですが、必ずしも少年自身は更生したいと思っていない、ということもあります。もちろん、鑑別所や少年院に入りたくない、とは思っていますが、それは罪を犯さず、真面目な生活をするということと必ずしも同義ではありません。できるだけうるさい大人に干渉されず、好きなように生きていきたい、内心ではそう思っている少年もいるかもしれません。そういった少年にとって、自分の行動を振り返るという作業は決して愉快なものではなく、多くの場合、抵抗を伴うものです。また、能力的に、頭では分かっていても、自分の行動をコントロールすることが難しい少年もいます。

しかし、その結果として少年が犯罪を繰り返すことになれば、身柄の拘束は避けられません。少年に対して、なぜ自分が罪を犯すに至ったのか、それを続けるとどうなるかを問い、さて、その上で今後どうする? と今後の行動選択を迫る(さらに、これらのプロセスを裁判官と共有し、少年に対する処分を検討する)、というのが少年事件における調査官の調査です。

愛?

さて、最初の問いに戻りましょう。

「愛の裁判所」という言い方は、令和の今改めて聞くと、私たちとしては、かなり面映ゆく感じる言葉です。家裁の設立当時、「弱者」とされていた女性の立場は変わってきましたし、少なくとも少年事件での保護の主な対象であった戦災孤児の問題は社会問題ではなくなり、少年が罪を犯す理由は、多くの場合「生活苦」ではありません。貧困や格差の問題は当然ありますが、多くの事件が圧倒的に弱い立場の人たちに手を差し伸べるという手続ではなくなってきているのは事実で、私自身、時には当事者や少年に対して、シビアな言葉を投げかける場面もありましたから、家裁のユーザーである当事者や少年からは「どこが愛の裁判所?」と思われることがあるかもしれません。

しかし、家裁が扱う事件の性質に目を向けた時、離婚を巡る審理は、「夫婦の間に愛情があるのか」「もう愛情がなくなっているとすればどう清算するか」ということを考える手続だと言い換えることができます。また、親権や監護権など、子どもを巡る争いについては、双方の親の愛情に優劣があるとは思いませんが、結局のところ愛情の質を問う手続ですし、面会交流は一緒に暮らさなくなった親子が、今後どのように親子の愛情を交換していくかという問題だと考えることができます。

そして、少年事件は、決して少年を施設に入れ、社会から隔離して終わりではありません。仮に決定が少年院などの収容処遇であったとしても、必ず何年か後に少年は社会に帰ってくるということを想定して、その時に罪を犯さずに生きていける道を少年自身に考えさせることを目的とした手続です。これも、広く言えば、未成年者を社会でどう育てていくか、ということを問う手続で、大きなくくりでは「愛」が問われていると言えなくもない。

これらのテーマはいずれも、地裁のような対審構造ではなかなか解決しにくい問題であって、こうして見てくると、今でも家庭裁判所は確かに「愛の裁判所」です、とお答えしてよいのではないかと思います。


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高島聡子(たかしま・さとこ)
神戸家庭裁判所姫路支部総括主任家庭裁判所調査官。
1969年生まれ。大阪大学法学部法学科卒業。名古屋家裁、福岡家裁小倉支部、大阪家裁、東京家裁、神戸家裁伊丹支部、京都家裁、広島家裁などの勤務を経て2023年から現職。現在は少年、家事事件双方を兼務で担当。
訳書に『だいじょうぶ! 親の離婚』(共訳、日本評論社、2015年)がある。Web日本評論では「ただいま調査中! 家庭裁判所事件案内」を連載。