(第77回)Cool Head, but Warm Heart 冷静な思考力と温かい心(葛野尋之)

私の心に残る裁判例| 2024.10.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

柏の少女殺し事件

1 少年法27条の2第1項にいう「本人に対し審判権がなかったこと……を認め得る明らかな資料を新たに発見したとき」の意義
2 少年法27条の2第1項の趣旨
3 少年法27条の2第1項による保護処分の取消を求める申立に対してされたこれを取り消さない旨の決定に対する抗告の可否
4 少年の再抗告事件において再抗告事由以外の事由により原決定を職権で取り消すことの可否——「柏の少女殺し事件」保護処分取消事件再抗告審決定

最高裁判所昭和58年9月5日第三小法廷決定
【判例時報1091号3頁】

経済学者、アルフレッド・マーシャル(1842年〜1924年)は、自ら少年期に接したロンドンの貧民街にケンブリッジの学生たちを連れて行き、経済学を修める者には、冷静な思考力とともに、階級社会の最下層に位置し、貧困に苦しむ人々の生活をより良いものにしたいという温かい心が必要だと説いた。

誤判により人を有罪とし刑罰を科すことは許されない。判決確定の後に誤判を是正し、無辜を救済するための制度として、刑事訴訟法には再審がある。少年も個人として尊重されるべきである以上、誤った非行事実の認定により少年に保護処分を課すことも、許されないはずである。しかし、少年法には再審に相当する制度がない。少年法27条の2は、もともとは、成人を少年と誤認して保護処分を課したときの取消を定めた規定であった。しかし、実務は、非行事実の誤認に基づく保護処分を取り消すために、この規定を用いるようになった。

事件当時14歳の少年が、11歳の少女を殺害したとする非行事実を認定され、少年院に送致された。少年は家裁の審判では事実を認めていた。抗告もせず、保護処分の決定は確定した。少年ははじめて少年院で両親に無実を訴えた。凶器と同型のナイフが自室から発見された。付添人の弁護士が、保護処分の取消を申し立てた。家裁は非行事実の認定に誤りはないとして、取り消さないと決定した。少年側が不取消決定に対して抗告した。しかし、高裁は、保護処分の決定に対する抗告ではないから違法だとして、抗告を棄却した。

少年側の再抗告を受け、最高裁は、保護処分の取消を誤判の是正のために用いるという実務を是認したうえで、保護処分の取消の申立に対する家裁の不取消決定は、保護処分の決定ではないにせよ、保護処分を今後も継続することを内容とする決定であって、保護処分決定と同じ実質を有するから、保護処分決定に対する抗告の規定を準用して、不取消決定に対しても抗告ができるとした。さらに最高裁は、決定に影響する法令違反という抗告理由と著反正義とを認め、先の高裁決定を職権で取り消した。

保護処分決定に対する抗告の規定を準用して、不取消決定に対する抗告を認めたことには、法解釈として無理があるという批判もある。しかし、誤判による保護処分は許されないとしながら、誤判を否定した不取消決定に対する不服申立を認めず、救済の途を閉ざすことは、背理である。こうして、最高裁は、誤判による保護処分から無辜の少年を救済するための途を広げるために、法創造的な解釈を行った。

法を、強者が弱者を支配し服従させる道具ではなく、力のない人に自己を生きる力を与え,困難のなかにある人を幸福にするための手段として活かそうとするならば、法を学ぶ者、法の運用に携わる者にも、Cool Headとともに、Warm Heartが必要であろう。私に教えてくれたのが、この決定である。


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葛野尋之(くずの・ひろゆき 青山学院大学法学部教授)
立命館大学法学部教授、一橋大学大学院法学研究科教授などを経て現職。
著書に、『刑事司法改革と刑事弁護』(現代人文社、2016年)、『未決拘禁法と人権』(現代人文社、2012年)、『少年司法における参加と修復』(日本評論社、2009年)、『刑事手続と刑事拘禁』(現代人文社、2007年)、『少年司法の再構築』(日本評論社、2003年)。最新刊として、村山浩昭=葛野尋之編『再審制度ってなんだ』(岩波ブックレット、2023年)。